〇義兄が亡くなりました
日付が7月18日から19日に替わった寝入りばな、近所に住む姉から、「先ほど主人が息を引き取った」と訃報電話が入りました。姉夫婦は目と鼻の先500mほどの所に住んでいますが、昨年末頃から肺疾患を患い自宅療養をしていましたが、最近は食欲も進まず診療所の先生に往診してもらっていました。
肺疾患の容体は日増しに重くなり、入院も考えました自宅を離れたくないという義兄の思いを尊重して、酸素チューブ管を鼻に取り付け、姉や看護師資格を持つ孫娘、それに管理栄養士の娘も加わって、まるで病院まがいの療養を続けていました。4~5日前見舞いに出かけた時はベッドで寝ていたので、起こすこともできずその時が生きていた最後の様子でした。
義兄は双海町内奥東の農家に生まれました。若い頃町内の自動車修理工場に勤めた経験を活かして、双海モータースという自動車修理工場を創業して姉と従業員の3人でつつましやかに経営していましたが、工場を引き継ぐ後継者もいないことから70歳を機に工場をたたみ、余勢をかって老後生活を送り、大好きだったゴルフにも足繁く通い、ホールインワンも経験するなど楽しそうでしたが、肺を患ってからは生気を失なっていました。
義兄は「本名福岡悟」なので、近所の人から「サーにい」と呼ばれていました。父親の福岡嘉四郎さんは101歳まで生きた名物じいさんでしたが、子どもは何故か短命で、弟も姉2人も既に亡くなっていて、私たち姉の兄弟5人はまだどうにか健在なので、身内が途切れるなどどこか寂しい晩年でした。今朝3時半まで今晩の通夜、明日の葬儀に向けて妻と二人で細かい打ち合わせ差配を行い、帰宅して床に就きましたが中々寝付かれず、いつものように朝4時過ぎに目が覚めました。
「寝入りばな 姉から電話 義兄逝く 早速妻と 弔問手伝い」
「あれこれと 年上ゆえに 頼りされ 差配しながら 思い出語る」
「肺疾患 鼻には酸素 チューブ管 食欲なくなり 体力落ちて」
「『サーにい』と みんなに慕われ 人の好い 義兄天国 召されて悲しい」