〇々から始まった従兄弟の人生
一昨日の朝、従兄弟で下灘漁協の組合長をしていた若松利光が亡くなり、この2日間は予定したスケジュールを全て変更し、私より3つ年下ゆえ少し早い旅立ちに心沈ませ、寄り添いながら心曇らせて過ごしました。漁師一族の本家と分家という関係もあって、子どもの頃から何かにつけて一緒に過ごし、若い頃は私も彼と同じ漁師として7年間海の上で働き、青春を謳歌しました。
私と彼が袂を分かつようになったのは私が過労で倒れ、それまでのような重労働を伴う漁師の仕事が続けられなくなってからでした。私は学歴もないのに青年団で活躍したいささかが認められて役場に入り、一風変わった役場職員として社会教育、産業振興、まちづくりなどと職種をつないで35年間余りの、地方公務員生活を送った後自由人となって今日に至っています。
一方彼は、45歳の若さで亡くなった父親の跡を継いでこれまで、57年間漁師一筋の道を歩み歩み続けてきました。私が漁師をしていた23歳の時、NHK青年の主張で訴えた将来の夢は「下灘漁協組合長」でした。私は転職したためその夢は実現しませんでしたが、彼は10年前私の夢であった「下灘漁協組合長」になり大活躍をしてくれました。彼が死ぬ二日前下灘漁協では定期総会が行われ、病気で病の床に伏し総会への出席は叶いませんでしたが、新しく選ばれた吉野組合長にバトンをタッチしたことを見届けるように明くる日あの世に旅立ったのも、彼らしい最後の幕引きでした。
つかず離れず生まれ育った故郷で、別々の道とは言いながら同じように生きた彼は、私と同じように明るい性格でした。日々を楽しく生きた証でしょうか、昨夜は新型コロナの影響で蜜を避けるため、家族や親族だけのささやかな通夜の予定でしたが、100人近い参列者がマスクをして訪れ、彼の人柄の良さと交友の広さの存在感を存分に示してくれました。今日は午前8時30分から納棺、10時から葬儀と慌ただしい一日となります。笑顔で送ってやりたいと思います。
「々から 始まったはずの 人生も 紆余曲折を 経ながら結末」
「元漁師 履歴書最初 書く言葉 これがあるから 私今ある」
「70年 余りお互い 生きて来た つかず離れず それぞれ人生」
「何年か 前に貰った 一枚の 色紙生き方 示しているよう」