〇薪割り
私が子どもの頃は、煮炊きをするのも風呂を沸かすのも全て薪でした。いつの頃からがガスや電気が普及し、薪を燃料として使わなくなったため、薪割りを経験した人も殆どいなくなりました。わが家は田舎に住んでいるのでガスが普及しても風呂は五右衛門風呂でした。普通の家庭よりかなり遅くまで薪を使って風呂を沸かしていたので、薪割りはもっぱら子どもの仕事として位置づけられていました。
年末になると知り合いのお百姓さんが猫車やトラックに一杯、クヌギの木を積んで持って来てくれました。庭に下ろされた木はチェンソーなど普及していなかったので、親父が夜なべ仕事に巾ヤスリで目を立ててくれた鋸を使い、専用の馬木に乗せて適当な長さに切り、マサカリで割って行くのです。最初は面白がって手伝っていた要領のいい弟たちはいつの間にか姿を消し、長男がゆえに全責任を任された私は不平不満を言いながらも、学校から帰ると毎日のようにその作業をしました。
クヌギの木は、届いたころは生木で、いとも簡単に割れますが、少し時間が経って木が乾燥すると、粘り気が出て中々割れにくくなることを、子ども心に生活の知恵として覚えているため、心は焦るものの作業は進まず、最後は腕や肩の疲労で難儀をしたものです。それでも庭の隅に割った新しい薪が積み上がった姿は、何とも言えない田舎の美しい風景でした。その割り木で沸かすお風呂は湯冷めもせず格別で、残り火で焼いた焼き芋を、口いっぱいに炭をつけて食べた味もまた懐かしい思い出です。
先日シイタケの原木を切りに友人のクヌギ林に出かけた折、切れ端のホダ木には使えない小ぶりな枝木を持ち帰り、息子と二人でチェンソーで小切りしました。昨日の朝一人で薪割りをしました。クヌギゆえ貴重な薪になりましたが、倉庫の隅の専用の薪置き場に積みました。わが家では今も餅つきのもち米を蒸したり、ヒジキを茹でるのに薪を使うので、人間牧場の薪ストーブも、薪を割る労力だけでエネルギー費はタダ同然です。薪割りも今ではすっかり忘れられた風景となってしまいました。
「子ども頃 年末なると 百姓さん クヌギを沢山 庭まで届け」
「薪割りは 子どもの仕事 決まってた 文句言いつつ それでもこなす」
「割った薪 かまどの煮炊き 風呂沸かし ガスがお目見え やっと解放」
「生木なら いとも簡単 割れるけど 乾燥すると 難儀しました」