〇新聞の切り抜き
私は長年地域づくりに関わっていることもあって、主に自分や自分の町が載っている新聞や雑誌を切り抜いてスクラップしています。若い頃は自分も自分の町もそれほど新聞や雑誌に載らなかったので、切り抜いた記事は丁寧にスクラップ帳に保存していましたが、その後まちづくりが盛んになると毎週のように記事が載り、日々の仕事に追いまくられ整理することもなく無造作に段ボール箱に入れて倉庫の隅に追いやられているのです。
去年の今頃から始まったコロナ禍で講演活動やイベントがことごとく中止になったり、不用不急の外出自粛でできた自由時間を何とか効果的に生かそうと、様々な新しいことにチャレンジしていますが、その一つとして雑然と段ボールに入れられている切り抜きや写真の整理を思いつきました。まだ始めたばかりで成果は上がっていませんが、後期高齢者になったこともあって、終活や断捨離をしなければならない年齢でもあるので、これ幸いと悦に入っています。
私は凡人ゆえ地方紙と言えど新聞の1面トップ記事に載るような悪いことも良いこともしていませんが、実はたった一回、愛媛新聞の1面トップ記事に載ったことがあり、昨日その切り抜きが見つかりビックリしました。私たちが初めて沖合に浮かぶ由利島で無人島キャンプをした時の記事でした。愛媛新聞も余程1面に取り上げる特別な記事がなかったのか、私たちのやったことが1面トップ記事に値する価値があったのかは分かりませんが私としては後者の方で、愛媛新聞も粋な計らいをしてくれたものだと敬意を表しています。
私は凡人ゆえ、中央紙の新聞の一面に名前を刻むような悪いことも良いこともしていませんが、実はたった一回、朝日新聞の「天声人語」というコラムに僅か2~3行ですが書かれたことがあります。「天声人語」はマイクロフィルムで永久保存されるほど価値あるコラムだと聞き及んでいます。当時中央紙の朝日新聞や毎日・読売などを見る機会は殆どなかったのに、東京の偉い人がその記事を目ざとく見つけ、切り抜きを送ってくれました。
その偉い人の名前はかの有名な永六輔さんでした。その後夕日の絵葉書を収集していた永六輔さんとひょんなことから知り合いとなり、私が塾長をしていたフロンティア塾40回目の最終講師に招くことができたのですから世の中は何が縁になるか分からないものです。私は夕日に憧れ別名夕日夕焼け課長と呼ばれていましたが、何故か夕日ならぬ朝日新聞とのご縁が深く、今も松山支局に赴任していた何人かの記者さんと交友を続けているのです。
「新聞の 1面トップ 記事に載る 懐かしきかな 新聞切り抜き」
「新聞の 1面コラム 記事に載る 天声人語 懐かしきかな」
「凡人と 自認している この私 1面記事に 何と2回も」
「自分史に 遺し置きたい この珍事 終活見つけ 思わず笑う」