〇今年は私たち夫婦の金婚
私たち夫婦は昭和46年(1971年)5月5日子どもの日に結婚しました。私が愛媛県青年団連合会の会長をしていて、国立大洲市年の家の誘致運動に熱を入れて活動していたため、たった5分間の見合いや結納が終わって結婚式までの半年で僅か5回しか出会わなかったことなど、今では信じられないようなあっという間の結婚でしたが、結婚式はわが家の座敷で、結婚披露宴は近くの下灘農協の2階大ホールに250人もの人が集まり、漁師をしていた親父の獲った鯛づくめの手作り料理で、それは盛大な結婚式でした。
以来4人の子宝に恵まれましたが、PTA活動を除けば子育ての殆どは妻に負け切りで、30歳で2ヶ月半も家を空けて青年の船の班長としてアメリカ・メキシコ・ハワイへ旅立ったり、1ヶ月間余り香川大学での社会教育主事講習に出かけたり、社会教育やまちづくりという仕事が殆どだった故、子育てや家のことは殆ど妻に任せきりでした。その上21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティア団体を立ち上げ自らが代表となり、その活動拠点をわが家に置いたため、諸々の活動のため多くの人が宿泊や宴会で逗留し、今に至ってそれらは続いているのですから驚きです。
32歳で金もないのに念願の家を建て、私設公民館煙会所や海の資料館海舟館、人間牧場などを次々造り、内外の人と深く広く交流し、それらを濃密に下支えしてくれたのも妻です。家庭の経済、家族の健康、先に逝った父・祖母・母の介護、子どもたちの世話と自立に向けた支援、近所や親せきづきあい、勤務仕事などなど、寝る間を惜しんで一人何役も50年間働き続けている妻には、お礼の言葉もないほど世話をかけています。私がこうして元気にいられるのは、この家が今日あるのは妻のお陰です。
たった5分の見合いから始まった私たち夫婦の50年間のドラマはあっという間でした。これから夫婦が穏やかな老後を楽しむためにも、今年はせいぜい妻に感謝し妻を少しだけ労わってやりたいものだと、殊勝にも考えた新しい年初めでした。
「5分だけ 見合いしたこと 縁でした 今年は金婚 キンコンカンと」
「50年 あっという間の ことだった 色々あったが それなり夫婦」
「言葉では 恥ずかしいから 言わねども 心の中じゃ 感謝感激」
「50年 まるでドラマを 見てるよう これから先も ドラマは続く」