〇青春の証丸木舟は火となり灰になりました
今年の餅つきのもち米を蒸すかまどの火は、私が若い頃長さ10m、直径1m60㎝のアラスカ産モミの木を使って建造し、瀬戸内海の無人島由利島を探検した21世紀えひめ号の残材を使いました。
今リニュアール工事の進む道の駅シーサイドふたみの一角に展示していた丸木舟は、市役所の判断で展示場所を失ってしまいました。抗議の声も届かず、残念ながら廃棄処分とすることになりましたが、せめて痕跡でも残したいと舳先を2mほど切り取って持ち帰り、色々な加工を加えて重量を軽くし、わが家の敷地内にある海の資料館に展示を終えました。
その加工過程で出来た残材を東屋軒先の薪収納場所に置いていましたが、年末の餅つきのもち米を蒸す熱源にして供養することにしました。30~40㎝に切った船底や横板を手斧で割り木にして使いましたが、乾燥していてよく燃えました。機を得たのでしょうか?、偶然書斎の年末片づけをしていると、古い丸木舟を建造したり航海訓練をしている写真が出てきました。
写真に写っているのは、亡くなった親父や、豊田さんの親父さん、隣の隅田のおじさんなど手伝ってくれた面々の在りし日の作業姿でした。また進水式を終えて松山市垣生の港で航海訓練に励むクルーの姿もありました。操船技術が未熟な私たち21世紀えひめニューフロンティアグループの面々に、海のことなら何でも知っている親父が、舵を持ち手ほどきをしている貴重な写真の数々です。
記憶に新しい丸木舟の現物は殆ど灰となってしまい、永遠に蘇ることはありませんが、写真や文章によって記録として残っていることを嬉しく思います。今年ついたお餅には私の熱かった今やれる青春がつき込まれているので、味わって食べたいと思っています。
「丸木舟 残念ながら 処分した 青春の日々 写真ありあり」
「書斎にて かつての写真 見つかった 親父や豊田 隅田のおじさん」
「ワクワクし ドキドキもした 若い頃 今もジーンと 心に残る」
「今年は 熱き青春 つき込んだ 餅だと言って あちこち配る」