〇勉強ができなくても夢があれば人生は楽しく生きられる
親父やおふくろが生きていた頃、小さい頃の私はどんな子どもだったか聞いたことがあります。両親によると私は小さい頃、小学校へ入学するというのに、10の数も数えられず、自分の名前さえも書けない子どもだったようです。そんな低知能を気遣った両親は入学式の前日、浜から小石を拾って来てどうにか10まで数えられ、反転文字交じりながらひらがなで。自分の名前を書けるようになったそうです。
そんなこんなの低能少年だったので、小学校4年生頃までの記憶はそんなに残っていませんが、小学2年生の時学校校庭にあった二宮金次郎の銅像台座、に「金次郎さんは何の本を読んでいるのか?」不思議に思いよじ登った所を、運悪く校長先生に見つかり、お仕置きをされたりしましたが、以来国語が好きになり、小学校5年生の時図書室で読んだり、誕生日に担任の先生からプレゼントしてもらった、「ジョン万次郎の生涯」という本の影響を受けて、いつか太平洋を航海したいと淡い夢を抱くようになりました。
その「夢」は現実となり、遊学した宇和島水産高校の実習船愛媛丸で赤道を越えて珊瑚海へ、30歳の時青年の船日本丸で日付変更線を越えて建国200年のアメリカへ行くことができました。国語の文法やサ行の二段活用が不得意でも、今では人の前でお話ができるし、算数の計算や図形のあれこれができなくても買い物や支払いができるし、理科の二酸化ナトリウムの化学式が分からなくても、社会の出来事年号なんか覚えられなくても、76歳の今日を一市民一国民として不自由なく生きれるのですから不思議です。
かたや通知表において一・二を争った優秀な同級生たちは上級の学校へと進んで、学歴を身につけてそれなりの出世をしたようですが、総理大臣になることもなく、それなりの人生を歩んでいるようです。お金や地位があって誰が見ても幸せそうに見える人でも友だちもなく、深い悩みを抱えている人もいます。「幸せとは幸せと感じる心」、「夢亡き民は滅びる」です。
「低能な 少年時代 過ごしたが 何とかなるもの こうして生きてる」
「文法も 計算図式 化学式 年表さえも 分からぬままに」
「人生の 通知表なら 努力賞 貰える自信 大いにありて」
「夢を持ち その実現に コツコツと 努力をすれば いつかは幸せ」