〇もしもピアノが弾けたなら・・・
私が書斎として使っている部屋は畳10畳敷きもある応接間です。昔の家はどちらかというと座敷や応接間などの客間に力を入れて、居間などをないがしろにしていました。私の家も45年前に建てた時はそんな方針でしたが、子どもがそれぞれ独立してからは2階の座敷3間と子ども部屋1間が空き部屋となっていました。幸い7~8年前から長男家族が同居するようになって、2階の部屋は全て埋まりましたが、1階の応接間だけは勿体ないと思い、私の書斎を引っ越しました。以来この応接間は私の書斎となり、知のコンテンツを高めるため大いにに役立っていますが、応接間には娘が子どもの頃習っていたピアノが置かれその一角を占拠しています。
時々孫2人が戯言でピアノを弾いて遊んでいたり、私も時々タヌキが石を投げるように弾いていますが、これといった役割も持たず今に至っています。松山に住んでいる娘にそのことを話すと、そのうち引き取ると言いながらもう20年近くもそのままで、一昨年娘一家が家を新築したのを機会に話を持ち出しましたが失敗に終わりました。多分このままだと私の生きている間には何の変化も起こらないのではと危惧しています。今朝書斎でブログを書きながらふとそのことが気になり、ピアノの蓋を開けて童謡を何曲か弾いてみました。下手糞のそしりは免れませんが、まあそれなりに弾けました。
何年か前俳優で歌手の西田敏行さんが、「もしもピアノが弾けたなら」という曲を歌い大ヒットしました。歌詞の「~だけど僕にはピアノがない~」ではなく、現にピアノがあるのですから、少し勉強して練習し、ピアノが弾けるようになれば自分の人生は豊かなものになるはずでしょうが、年齢から考えると時すでに遅しといった感じがしています。クラッシック音楽など分からない私ゆえ、童謡や流行歌程度しか弾けませんが、ハーモニカの練習をしたお陰で、200曲を超える曲を吹けるようになった自分のことを思えば、今からでも遅くはないかも・・・・なんて、甘い誘惑に誘われそうになっています。「もしもピアノがなかったら、書斎はもっと広く使えるはず・・・・」なんて、頓珍漢な考えを持った朝でした。
「わが書斎 畳10畳 一角に 娘のピアノ 行く当てもなく」
「わが書斎 使いたいけど ピアノデン 置かれたままで 多分ずうっ~と」
「そういえば もしもピアノが 弾けたなら 歌思い出し 口ずさみつつ」
「音楽は 日々の暮らしに 彩を 添えるはずだと レコード聴き入る」