人間牧場

〇季節は秋に向って進んでいます

 今年は雨が降らず、連日高温注意報が出ていて、人に会いさえすれば「暑いですねえ」とため息のようなあいさつを交わしています。下の田圃では既に稲刈りが始まり、目にはさやかに見えねども秋が近付いていることを実感させています。わが家から楽しめた夕日もいつの間にか西よりのコースを辿り、西の端に沈むようになって、そろそろ海に沈む夕日は見納めです。この一ヵ月雨らしい雨が殆ど降らなかったため、今年くらいわが家の裏から綺麗な夕日を見たり写真に撮ったりしたことはありませんでした。

雨が降らないため自慢の夕日がわが家から毎日綺麗に見えます
雨が降らないため自慢の夕日がわが家から毎日綺麗に見えます

 ゆえにメモリーカードには沢山の夕日の写真が、ほぼ定位置から撮られストックされていますが、多分使われることもなく忘れられる運命にあるようです。ブログを書くようになって10年余が過ぎました。ブログに載せる写真を撮るためためデジカメを買い、今も写真を撮り続けていますが、ブログに転載した写真だけでもこの10年間で1万枚を越えるのですから驚きです。デジタル写真は自分の傷みつつある記憶装置を保管するように、しっかりと記録し続けていますが、特に既に亡くなった人が写っている写真等を見ると、思わずハッとすることがあります。

青島辺りに沈む夕日
青島辺りに沈む夕日

 勿論昨年亡くなった親父の写真もその類で、昨日2~3年前のブログ記事を呼び出して読んでいると、それなりに元気だった親父の写真が目に留まりました。庭の松の木を剪定している姿です。そういえば親父が大事に育てていた松の木も、私の手には負えなくなり、剪定作業を疎かにしていることにはたと気がつきました。そうだ「松の木の剪定をしなければ、親父に申し訳がない」と思い、とりあえず裏庭の2本の小さな松の木ら手掛けてみました。新梢をハサミで摘み、古葉を手袋をした手で落すと、少し見栄えがよくなってきました。暇を見つけてそんなこんなをやってみようと思った一日でした。

  「毎日の ように夕日の 写真撮る その殆どは 使うことなく」

  「立秋を 過ぎても残暑 厳しくて それでもそこここ 秋は近付く」

  「海沈む 夕日そろそろ 見納めと 裏山昇り 写真に収め」

  「2~3年 前の写真に 親父生き 松の剪定 してる姿が」

 

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