〇71年目の原爆の日
広島に原爆が投下されてから既に71年目になるというのに、5月に現職大統領としては初めてオバマアメリカ大統領が広島を訪問したこともあって、今年ほど8月6日の原爆の日が注目されたこともないようで、原爆が投下された8月6日午前8時15分には広島平和公園の平和の鐘が鳴らされ、5万人の参列者が鎮魂の祈りを捧げ、核兵器廃絶を誓ったようです。
私もささやかながら遠く海の向うに、広島方面が見える人間牧場のウッドデッキに出てただ一人、ささやかながら一分間の黙祷を捧げました。原爆が投下された1945年(昭和20年)8月6日に私、生まれて間もない10ヶ月の子どもでした。生前母や祖母から聞いた話によると、6日は昨日と同じように朝から雲ひとつない晴れた日だったそうで、エビ漕ぎ網漁から帰った船から水揚げされた魚を家屋総出で砂浜で選別していたそうです。
私は母の背中におんぶされていましたが、原爆投下の8時過ぎには地震ではないかと思われる小さな揺れを感じ、広島あたりのある空に何やら見たこともないような雲が見えたそうです。それが原爆投下で出来たキノコ雲であることは知る由もありませんでした。「あれは何だろう?」と指差す方向を生後10ヶ月の私はどうやら見ていたのかも知れないと思うと、成長するにしたがって、また毎年8月6日を迎える度に、無記憶ながら原爆の悲惨さを思うのです。
私の年齢と終戦や原爆の日の、過ぎ越し年数が一緒という奇遇もあり、今年も複雑な心境で今年も昨日を迎えました。今朝の新聞にはリオデジャネイロで開幕したオリンピックの話題で持ちきりで、今朝届いた新聞一面には載らず2~3面に掲載されていますが、忘れてはならない日本の記憶を今一度思い出し、未来の子どもたちのために平和な日本を残してやりたいものです。
「現職の 大統領が やって来た 話題もあって 特に今年は」
「原爆の 落ちたその日は 母の背で キノコ雲見た 無意識子ども」
「年齢と 年数重なり 事の外 心が揺れる 原爆の日は」
「知るほどに 聞くほど無残 原爆の 惨状今も 深い傷跡」