〇私は無色ならぬ無職
一昨日ある調査票が届きました。氏名・年齢・住所と順次書き進むと、職業と勤務先の欄がありました。現職を退職するまでは何の疑いもなく「地方公務員」とか「双海町役場」などと書いていましたが、定年退職してから11年間は、この欄に出合う度に、「はて、私の職業は何だったっけ?」と首を傾げて、書いているボールペンがふと止まってしまうのです。
私は退職する時再就職しない自由人の道を選びました。「サンデー毎日」などとじゃれていますが、職業欄に「自由人」とか「サンデー毎日」とも書けず、そうかといってやることがない訳でもなく、講演やボランティア活動で毎日楽しく過ごし、セミリタイアって感じで、毎年確定申告して少ないながら税金も払っているので、「無職」と書くのはどことなく抵抗感があるのです。
それでも私と同じような年代の人は、特別な人を除けば年金暮らしに甘んじる「無職」なので、余り気にすることもないのでしょうが、もしまだ結婚していない三男の末息子が結婚した場合、結婚披露宴で「新郎のお父さんはただ今無職でして・・・」と紹介されると、息子は肩身の狭い思いをするに違いないと、ありもしないことを考えてしまいます。
「無職」は「無色」ゆえ、現職のころのような制限制約もなく、何をしても自由ですが、「自由は最大の不自由である」ことも実感しています。決った給料も入らず、ましてや夏冬のボーナスもなく、経済的には節約以外ないのですからとても不自由です。でも殆ど蓄えはないものの、暮らしに困るほどではなく、「無職」もいいものです。「元〇〇」をふりかざす過去の経歴も殆どなく、このまま無職で過し無職で死んでゆくことでしょう。それもまたよしです。
「調査票 職業欄に 戸惑いつ 考え込んで 無職と書いた」
「無職とは 無色ですよ 自由人 サンデー毎日 気楽なものだ」
「自由とは 不自由ですが それなりに 生きて行けます 今の世の中」
「さあ今日も やるべきことが あり過ぎて 無職見紛う 自分の一日」