〇蓄えるしんどさと使う喜び(その5・感動の貯蓄)
詩人の相田みつをさんが「感動とは感じて動くこと」とシンプルに表現していますが、感動はまか不思議な心の動きです。青年団長をしていた若い頃、「人の悲しみを悲しみと思い、人の喜ぶ姿を見て喜びとするような人間になろう」などと、感傷的な言葉を自ら編み出して、青年たちにあいさつで訳も分らず訴えていましたが、今となってはけだし名言だと納得しています。
私は子どもの頃から涙もろい方で、テレビのドラマを見ても泣けてきたり、道端の草花を見ても思わず立ち止まり、しゃがみ込んで「綺麗だ」と思います。多分それは私を育ててくれた母親の影響かも知れません。
親友というより大先輩の愛媛大学名誉教授の讃岐先生が、「感動は感動という作用によってのみ点火される」と言っています。つまり感動しない人間は相手に感動を伝えることはできないのです。わが子は四人います。他人はどう思っているか分りませんが、わが子四人は普通に育てたのに、優しい感動する子どもに育っているように親の目から見れば思えるのです。それは多分手前味噌ながら、幾つもの感動を貯蓄してきた私たち夫婦の影響からかも知れません。
私たちが子どものころは、子どもが生まれるのも、家族が死ぬのも全て家庭でした。ゆえに生というとてつもない大きな喜びと、死というとてつもない大きな悲しみを経験することができました。歓喜と感涙の源がそうした経験だとしたら、今の社会生活には残念ながら感動を経験することが少なくなったゆえに、無感動な子どもたちが多いことも納得できるのです。そんな子どもたちに「感動の涙を流す経験をさせてやりたい」という願いのもと、「無人島に挑む少年のつどい等を無謀にも計画し、20年を越えて仲間とともにやって来ました。また今も人間牧場に子どもたちを集めて、子ども体験塾をやっていますが、それもこれも感動の貯蓄運動なのです。
私は歳のせいでしょうか?、何かにつけて涙もろくなったような気がします。「歳をとると涙もろくなる」と言われますが、多分それは感動の貯蓄の利子が溢れ出しているのだと思えば納得するのです。現代の子どもを感動人間に育てるには、讃岐先生の言うことが正しければ、まず親や社会が感動親、感動社会にならなければ、子どもたちの心に感動の火は点火されるはずがないのです。私ももう少し、子どもたちに感動の貯蓄をさせるお手伝いをしたいと思っています。
「感動は 感じて動くと 言うけれど 感じて動く 人ぞ少なし」
「感動は 感動作用で 点火する する人あれば される人あり」
「感動を 貯蓄するのは 難しい 使う喜び あれば出来るよ」
「感動が 少なくなった 世の中で どう伝えるか 次の世代へ」