〇お父さん、いつまで行くの?
「お父さん、いつまで工業高校へ行くの?、僕が卒業してもう二十年を過ぎたというのに!!」とは、同居している長男息子の私に対する言葉でした。そう言われてみると、私が愛媛県立松山工業高等学校へ行くようになったのは、長男息子が工業高校の建築科を志望して推薦入学試験で合格してからでした。それまで子どもの学校行事やPTA活動は殆ど妻に任せていたのに、何を思ったのか長男の高校進学を機に入学式やPTA総会に出席したことが失敗(失敗といえるかどうか?)の始まりでした。いきなり総会でPTA常任理事になり、その明くる年は副会長、そして3年目にはこともあろうか会長にまでなったのです。それで終るはずでした。ところが長男に続けとばかりに次男が機械科に、三男が機械科にそれぞれ続いて入学し、PTAと消防団と暴力団といわれる足抜けのできない泥沼組織に迷い込み、何と6年間も会長を続けることになったのです。
三男卒業後も、PTAOB会であるまさご会の会長や、100周年記念事業顧問に加わり、今も学校評議員として学校関係の末席を汚しているのです。そんなこんなで松工の入学式や運動会、文化祭、卒業式などの案内が来るものですから、その都度自責の念に駆られ「もうそろそろ」と思いつつ、この歳になっても相変わらず道に迷ったふりをして、のこのこ出かけているのです。
3月1日は県内県立高校の卒業式で、私も礼によって案内状が届きました。運よくその前日から北海道のオホーツク寒気団船木さんの率いる地域づくりの仲間たちが、人間牧場や煙会所へやって来る予定だったので、さてどうしようか迷っていたところ、「出席して欲しい」旨の電話が学校から入り、出席をすることにしたのです。
9時30分までに学校へ来るように言われたので、皆さんと松山市駅前でお別れし、学校へ到着し校長室で馴染みの皆さんと面談し卒業式に臨みました。かつては33クラスあった学校も少子化のあおりで27クラスとなり、今年の卒業生は300人でした。奇しくも今年でその卒業生の人数が3万人を越えたそうです。卒業生が3万人も日本の各地で活躍しているとことは素晴らしいことです。実業高校らしく皆勤者も3分の1を越え、キビキビした卒業式の様子を見て頼もしく思いました。実にいいほのぼのとした卒業式でした。
先日ご好意に甘えてお願いしていた木になるカバンの金具もできたようで、あいにくカバンを持参しなかったため、次回に持ち越してしまいました。学校に関わるよう頼まれているので、再起動してもう少しガンぼろうと思っています。
「お父さん いつまで行くの? ハッとする 息子の言葉 胸にズキリと」
「20年 越えて松工 関わって ある意味幸せ 少しお役に」
「三万人 卒業生が いるという 数の多さに 驚きながら」
「もうそろり 一線退く 潮時か 辞めるは自分 しっかり決める」