〇北九州市への講演小旅行(その2)
下関滞在1時間ほどの私は再び唐戸市場から連絡船に乗って、門司港まで帰りました。この日は前日の寒さがまったく嘘のような穏やかな日和で、妻が風邪を引かないようにと持たせてくれたダウンのコートも、手袋も恥をかくほどでした。船着場の待合所に張られていたパンフレットを頭に入れ、海岸近くの運河のような水辺周辺や、レトロな門司の街をそぞろ歩きしながら、堪能することができました。合併以来50年が経ち、人口も100万人弱に膨れ上がった北九州市は、ややもすると博多の陰に隠れたような感じも否めませんが、小倉にせよ門司にせよ温故知新とでもいうべき胎動のような息吹を感じさせる、落ち着いたいい街でした。
街中を歩いていると、私を招聘してくれた北九州市門司区役所のコミュニティ活動支援課の担当者から、何時に到着するかという、問い合わせの携帯電話が入りました。もう既に到着している旨を告げると、驚いた様子でしたが、私は構うことなく散策を続け、会場の開門が9時ということを聞いていたので、5分前に会場となっている旧大連航路上屋に歩いて到着しました。周辺には戦時中この場所から、200万人もの将兵や多くの軍馬が出征したそうですが、200万人の内の100万人は望郷の念に駆られながらも、祖国の土を踏むことはなかったようです。勿論牛馬も殆ど帰らなかったようですが。最後に牛馬の飲んだであろう水飲み場の後を示す記念碑や、説明版も興味深く見学することが出来ました。
旧大連航路上屋というのは戦前や戦時中、満州大連に向かう人が乗船する待合室だった所ですが、戦争時代の遺物ゆえ荒れるに任せていたもの、を市が復旧復元耐震工事を行い見事に蘇っていました。当時は日本で最も活気のある日本最先端の街だった所ですから、中にはこれまで日本の海で活躍したであろう商船の見事なまでの模型や、海事品がきちんと展示されていました。
部屋の一角には昭和を飾った映画に関する映写機やポスター、雑誌などがきちんと整理をされて展示されていました。この品々のすべては松永武さんという人が個人で収集展示したものを、1997年に一括市に寄付されたそうで、その名に因み松下文庫と名付けて無料公開されていました。いやはやその数は膨大なもので、いつまで見ても飽きないほどで、中には先日文化勲章を受章した高倉健さんや渥美清さんと松永さんの珍しい交遊記録も残っているのです。
この日はラッキーにも松永武さんに出会わせてもらい、名刺交換やつーショットの記念写真まで撮らせていただきました。普通であれば紙ごみのように思われがちなポスター類や図書類はまさにこれこそソフトな近代化遺産のような気がしました。当時僅か50円や100円の入場券の半券もきっちりと残されれている徹底ぶりに、世の中には人知れず凄い達人がいるものだと感心させられました。
私は隣の広い部屋を講師控室に使わせてもらいましたが、入れ替わり立ち代り関係者の人がごあいさつに見えられ、恐縮してしまいました。下関の近さといい、門司のレトロな街歩きといい、はたまた旧大連航路上屋といい、さらには松下映画文庫といい、今まで知らなかった門司の街の魅力に触れただけでも、朝早起きしてよかったとしみじみ思いました。