〇今日はお地蔵様の縁日で赤飯の接待をしました
今日は家の入口近くに祀っているお地蔵様の縁日で、妻はいつもより少し早く起きてお赤飯を炊いていました。わが家がこの地に引っ越して来て36年近くになりますが、その時道沿いに置いてあったお地蔵様を粗末にしてはいけないと、少し高台へ移転してもらい、近所の左官さんに頼んで小さな祠を造ってもらいました。それ以来36年間、妻は毎月21日を縁日と定め、お赤飯を炊いてパックに詰め、近所へお接待を続けているのです。月に一度といいながら毎月赤飯を炊いてお接待を、36年間続ける妻の信心深さには頭が下がる思いです。作った赤飯を配るしか能のない私ですが、今朝は孫たちが私と一緒に隣近所4軒に一緒に赤飯を配って、喜ばれました。
「お父さん、最近は歳をとったせいかしら、21日があっという間に来るような気がする」と言うのです。私も同感で日々の過ぎるスピードが、年々早くなっているような感じがするのです。さて今朝はこれから下灘の親類へ赤飯を配ろうと思っています。長年やっていると頭の中に、配る人とコースが浮かんでくるのです。私が毎月赤飯を配る相手も徐々に歳を加えていて、私の来るのを心待ちにしている人もいるのです。昔は祭りなどに呼んだり呼ばれたりして頻繁に付き合っていた親類も、こんなことでもないと出会う機会が殆どないのです。そういう意味では毎月一回のお赤飯接待の定期便は、お地蔵さんのお引き合わせかも知れないと喜んでいるのです。
縁日には親父が幟を立てていましたが、この1~2年は親父も歳をとったため幟を立てるのを止めたようで、何処となしか寂しく感じます。近所の左官さんに造ってもらった祠も鉄筋が露出して少し傷んできたので、設計をしている息子に頼んで設計させ、二人で木造の祠を造ろうと計画していますが、親父は別として私たち親子は不器用なので、上手く行くかどうか心配しているところです。
今朝も11軒に赤飯のお接待をしました。神仏にあやかって神仏のために働くということは、私のような不信心な人間でも、何処か清々しい気持ちになるものです。何の見返りも求めないところがいいのかも知れません。今月は28日までしかないので、次の3月21日は妻が言うように幾分早く巡ってくるようです。
「毎月の 21日を 縁日と 定め赤飯 接待配る」
「よく続く 妻の行い 誉めながら 赤飯食べて 今日も元気に」
「疎遠なる 親類回り 赤飯を 配って会話 弾み音信」
「妻炊いた 赤飯神仏 供えつつ 今日の元気を 手合わせ感謝」