〇壱岐原の辻遺跡(壱岐への小旅行その4)
私は今回の旅でラッキーにも、壱岐の原の辻遺跡を見学することができました。博物館からいただいた資料には原の辻遺跡について次のような紹介文が書かれていました。
原の辻遺跡は今から約2000年前の弥生時代に栄えた多重の環濠を持つ集落です。中国の歴史書「三国志」の中に書かれた「魏志」倭人伝には邪馬台国をはじめ、様々な国の様子が記されています。記された国の中で、国の場所と王都の位置の両方が特定されるのは国内で唯一「壱岐・原の辻遺跡」だけです。魏志倭人伝の2008文字の中で57文字が壱岐に関する情報として記されていて、立地的に豊かな自然に恵まれていること、多くの人が息で生活していたこと、海を舞台に積極的に積極的に交流していたことが伺えるのです。遺跡からは東アジア最古の船着場跡や大陸との交流を物語る遺物が多数発見されています。玄界灘に浮かぶ壱岐は大陸や朝鮮半島と日本を結ぶ架け橋として重要な役割を果たしていたことが分かる遺跡として、遺物でいうと国宝にあたる「国の特別史跡」に指定された日本を代表するいせきの一つです。
かつて佐賀県にある吉野ヶ里遺跡や青森県三内丸山遺跡を見学して環濠集落などについてはおおよその知識を持っていましたが、それらに匹敵する素晴らしい遺跡でした。
原の辻遺跡の見える小高い丘の上に壱岐市立一支國博物館がありました。日本を代表する建築家黒川さんが設計したという施設は屋上緑化されていて、まさに自然に溶け込んだ素晴らしい施設でした。
3日目の研修プログラムはこの施設内の3階で行なわれたため、施設内の見学もさせてもらいましたが、展示物は超一級品ばかりでジオラマも精巧にできていました。
この施設には離島としては珍しい長崎県の埋蔵文化センターが併設されていて、普通埋蔵文化財は別の収蔵庫等があるのですが、ここでは収蔵品も展示するという施設となっていました。シルクロード・ビューシアターでの映像紹介が終わると、スクリーンが自動的に下がり、本物の原の辻遺跡が眼下に広がって見えるストーリーは脱帽でした。島ゆえ見学者の数は少ないと思われますが、一度は訪ねてみたい超一級の展示施設でした。
「原の辻 環濠集落 遺跡見る 弥生の人の 暮らし彷彿」
「三本の 指に入ると 自慢する 宝箱物 生かす手立てを」
「有名な 建築する人 考えた 立派建物 目耳に疑問」
「魏志倭人 聞いてはいたが 目の当たり 五十七文字 ロマンかき立て」