○国立大洲青少年交流の家運営委員会
かつて私は若い頃、青年団に入団して8年間活動しました。その結果①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具を手に入れました。その道具は様々な機会と場所を砥石にして、磨きながら今日も使って活動しているのです。青年団はその意味において私の大恩人かも知れないのです。そんな青年団活動の中でも愛媛県青年団連合会長と愛媛県青少年団体連絡協議会長、四国四県青年団連絡協議会長などの要職をしていたころ、国立大洲青年の家の誘致運動が起こりました。同じ四国ブロックの中で高知県室戸と大洲は激しく競り合いましたが、当時の坂田文部大臣を招聘するなど激しい運動の末、90%以上の内定を覆し、見事大洲の地に青年の家を誘致したのです。以来名称は国立大洲青少年交流の家と名称は変わったものの、こだわりとかかわりの多さから、この年齢になった今も運営等に深く関わらせてもらっているのです。
「幾何学の 竹のアートが 気になって 中庭出でて 写真収める」
「議長席 座って話 橋渡し 2時間かかり 話しまとめる」
「交流の 家は私の 家のよう 隅々知りて どこか落ち着く」
「この家に 中江藤樹の 教えあり 未熟なゆえか 未だ分からず」