○私が行かなかったことが一番の収穫かも
昨日は自分が参加しなければならない年輪塾の修学旅行に、叔父の納骨法要があったため参加できなかったため、少し空気の抜けた風船のような一日でした。そのためだけではなく今年一番の寒気の影響で朝から雪や風の強いあいにくの寒い気温のせいで、寒さをことのほか強く感じました。妻は風邪を引いては大変とホッカイロを用意して、私の腰辺りに張ってくれ何とか無事にお勤めを終えました。
それでも年輪塾の修学旅行のことがやはり気になるのか、夕方にでも現地に電話をかけようかどうしようか迷い、そのことを自宅に帰ってブログに書いていました。以心伝心というのでしょうか、今回の修学旅行の企画から運営を一手に引き受けて出かけた小番頭の松本さんから、「思ったほど天気も悪くなく、それなりに楽しい旅を続けています。止む無く参加できなかった塾長のことについては、皆さんに知らせておきました」と携帯電話をかけてきてくれました。
それでも気になるのか午後8時過ぎに、私の名代として出かけてくれた清水塾頭に電話を入れてしまいました。私が電話をかけた時は交流懇親会の真っ最中で、島根県から現地入りした沖ノ島町の南さんが自己紹介をしている声や拍手が電話の向うでリアルに聞こえてきました。
私が電話をかけている様子を見て、妻は気の毒そうに「お父さん行きたかったのに残念だったね」と慰めてくれました。と同時に「あなたが行かないことも意味がある」と悟ったような話をしてくれました。確かに妻が言うように、年輪塾は清水塾頭、米湊大番頭、松本小番頭、浜田筆頭塾生などなど、私の心を慮れる人が沢山いて、私は一種のお飾りのような存在なのです。組織にはお飾りのような存在は必要ですが、私がかつて自分の上司であった町長さんに、「金を出せ、口は出すな、責任を取れ」という三つをして欲しいと言っていたことのできるお飾りでないと、本当の意味での立派なお飾りにはならないのです。
いつもいる人がいないと、みんなはいつもいる人の分まで考えたり働かなければなりません。これは親子関係においても同じで、親が子どもの成長を見下して、いつまでも頑張り過ぎると子どもは親にも垂れることを覚え、いつまで経っても成長自立しないのです。昨日は法要のため久しぶりに親族が集まりましたが、若くして親に先立たれた子どもほどしっかりしていることに気づきました。私の従兄弟は若くして親父を亡くしましたが、今は立派に成長して下灘の組合長をしているし、同じ従兄弟もそれぞれ親父を亡くしていて、それなりにしっかりした生き方をしているのです。私は93歳の親父が現在も健在です。ひょっとしたら私が一番自立できていないのかも知れないと思ったりしました。
今の世の中はバーチャルとリアルが混在化して、どこまでがリアルでバーチャルなのか、判断に苦しみます。本当はバーチャルの世界なのに、携帯電話の受話器からリアルな生の声がどんどん入り、まるで自分がそこにいるよな臨場感を覚えました。今回の修学旅行は妻が言うように、「私が行かなかったことが一番の収穫」だったのかも知れないと、一人苦笑いした一日でした。
「これまでは 日程上手く 転がった 今回だけは ミスマッチです」
「親若く 亡くなった人 それなりに 逞しく生き 自立している」
「俺などは 今も親父の 支えあり 甘えの構図 いつまで経っても」
「死ぬか去る これがリーダー 育つカギ 俺もそろそろ ○○○なろうか」