〇帰って来ました
雪の山陰路からやっとの思いで帰って来ました。今回の講演旅行は色々あり過ぎて何から書いてよいか分かりませんが、とりあえず午前0時1分前に12月10日のブログ項目「帰って来ました」というタイトルだけを起こして寝ることにします。お休みなさい。
こう書きパソコンのの電源と書斎の電気を消しました。食卓の部屋に入り、妻の用意した夜食を食べながら、この二日間に起こった出来事を矢継ぎ早に妻の質問することに答えるように話し始めました。瀬戸大橋を渡って中国自動車道から米子道に入り、長いトンネルを出た湯原インターチェンジで雪のためのチェーン規制に遭遇し、インターを降りた直ぐ傍のガソリンスタンドでチェーンを19千円で買い求め、装着作業千円を追加して装着してもらい、再び高速道路に乗り50キロの制限速度で走っている途中に、前の車につられてブレーキを踏んだところスリップして車が後ろ向きとなり、ガードレールに接触事故を起こしたこと。運よく通りかかったGAFの協力で警察に事故処理連絡したこと。間もなくやって来た高速交通隊による事故処理が終わりGAFの積載車で蒜山インターまで運んでもらい、事務所に許可を得て駐車したこと。東広島市の稲井さんと愛媛県砥部町の稲葉さんの機転で、稲井さんがその日のうちに自分の会社の台車で愛媛までその日のうちに運んでもらったこと、その日は大山の麓の櫓意あるホテルという立派なホテルに泊まったこと、雪が沢山降り積もって寒かったこと。帰りは米子まで送ってもらい、そこから特急やぐもで岡山へ出たこと、特急しおかぜが到着した松山駅へ稲葉さんが迎えに来てくれたこと、稲葉さんの自動車工場まで行き、代車を借りて帰ってきたことなどなど、車にまつわる色々な話をしました。
最後は、「私がいつも言っているように雪や風や波をを馬鹿にしてはいけないことがよく分かったでしょう」とお灸を据えられました。出発の時私も車にしようか公共交通機関にしようか随分迷いましたが、妻の助言を守っていたらと反省しかりなのです。「できたことは仕方がない」と妻も私も納得し、話は終わりました。風呂に入り床に就くと午前1時を回っていました。この二日間はとてもとても長く感じる二日間でした。