○目出度く高齢者になりました
昭和19年10月3日生まれの私は、この度の誕生日で目出度く高齢者となりました。「目出度く」という表現は、加齢を嫌がる風潮がある中で、避けて通れないこの人生の関門をあえて夢や希望を持って反骨たくましく生きてやろうと思ったからです。
ゆえに今回の誕生日はあえて旅先で迎えることにしました。埼玉県寄居町のかんぽの宿で65歳の初日の出をたった一人で迎えました。宿となったかんぽの宿からは、前日の雨が嘘のように私の前途を祝福して晴れ渡った田舎の原風景がまばゆいほどに美しく見え、自分の将来を祝福しているようでした。
妻から朝一番の携帯電話が入り、「おめでとう」と言われ、更には自宅へ花束やメッセージが届いているとのことでした。四国の田舎に住む何の変哲もない私にでも、こうして祝福してくださる人が沢山いることを思うと、これからもうかうかすることなく、力強く生きて行こうと決意をせざるを得ず、心を新たにしたところです。
旅先での10月3日は忙しい一日となりました。朝こそゆっくりしたものの午後からは親学講演会で浅学非才を披歴し、その後寄居の駅を旅立って自宅へ帰る帰路途中にも東京で人に会うなど忙しくも充実した65歳高齢者となった第一日は、今までの度の誕生日よりも素晴らしい人生の旅立ちの一日となったようです。
帰宅すると妻が自宅に届いた花束をほどいて花瓶に美しく活けてくれていました。毎年毎年いつものことながら決まったように届く西岡真由美さんと緒方二三子さんお二人からの誕生日花束プレゼントなのです。もう10年も前のことでした、毎年12年間にわたって続けていたシーサイド公園の砂浜清掃や水槽掃除が終わってドロドロになった私の元へ、どこでどう調べたのか誕生日のプレゼントだといって花束を持ってきてくれたのでした。汚い作業中の格好をしていたゆえに少々赤面やたじろいだことを今でもはっきりと覚えているのです。
一昨日は65歳の誕生日ゆえにことさら重い気持ちで迎えました。これからが人生だと思えば目いっぱい楽しまなければなりません。さすがに体力の衰えは日を追うでしょうが、気力と知力はまだまだ衰えるつもりはありませんし、弱気になることもないのです。わが家では親父が92歳でまだかくしゃくとしていて、生きる見本があるのですから頑張らなければなりません。むしろ引っ張る機関車から後押し機関車になって、人にしてあげる幸せ人でありたいものです。
人はどうであれ私は私の道を行こうと決意した今年の誕生日でした。メールやハガキ、そして花束やプレゼントをいただいたみなさんありがとうございました。
「やっと来た ついに来たかと 高齢者 なってしまえば 気分サバサバ」
「これからが わが世の春と 大威張り へつらうことなく 生きてやろうと」
「わが家には 立派な見本の 親父いる 似ないようにと 似たいものだと」
「まだ若い 私若松 老いてなお 気分まだまだ 負けてなるかと」