○果てしなく生え続ける雑草との戦いは続く
わが家は田舎の家らしく敷地が660坪と、都会の人がうらやむほどの広さを有しています。他所から来た人たちはこの家庭菜園や果樹園付きの敷地を見て、羨ましがるのです。確かに狭いより広いに越したことはありませんが、広いと悩みも大きいのです。まず固定資産税がかかります。敷地を宅地と農地に分けているものの宅地並み課税と思われるほど税金がかかるのです。私たち夫婦が若くて安月給のころ、妻は役場に勤める私に内緒で「税金が高いのでは?」と役場税務課長に相談に行ったそうです。冬至の税務課長は「分相応な場所に住めばいいのに、分相応以上の場所に住んでいるのですから仕方がありません」と軽くあしらったそうです(笑い)。
さらに広くて困るのは草が生えることです。草は春から夏にかけてが一番旺盛です。私たちが住んでいる四国愛媛では暖地のため3月の初めにはもう寒風をついて雑草が伸び始めます。4月の声を聞くともう伸び放題になるのです。91歳を超えた親父の日課は草との戦いなのです。祖母が亡くなってからは毎日毎日、来る日も来る日も草を引いたり削ったりする作業に汗を流しています。
祖母が存命中、「家の周りの草を引きながら一周すると、最初に引いた場所にはまた新たな草が生えている」と嘆いていましたが、親父もまたそれに似た話を時々人にしているようです。
本当は家の周りに除草剤でもまいたらいいのでしょうが、除草剤は体に悪いと聞いているので今のところは除草剤をまかず人力除草に頼っているのです。親父の話によると「歳をとったのでもう限界」と、時々弱音を吐きます。親父の姿を見て私もそう思いますが、いよいよ除草の仕事が私に回ってくるひも近くなったと実感しています。私には4年前から人間牧場の草刈りという年に4~5回の仕事があるので、家の除草を加える余裕は今のところないのです。私の場合多分これから10年くらいはまだ体力的に人間牧場の草刈りは大丈夫なのでしょうが、それ以降は規模縮小をしなければ追いつかないと、親父が私に話すように、私も息子に話をしているのです。
この数日私は草削りの鍬を持って庭のあちこちの草を削っています。親父から見ればほんのままごとのような言い訳程度の草削りなので、親父の手助けどころか、削った草の処分まで親父が後始末しなければならず、結局はあまり役立っていないようです。
先日わが家を訪ねた奥東のおばちゃんたちが、家の周囲の草の生えてないのに気づいて、「草野手入れが行き届いていて凄い」と褒めてくれました。奥東のおばちゃんたちは農家なので、わが家と同じような広い敷地を持っているようで、同じように草が生えて困ると嘆いていました。おばちゃんたちは間に合わないから除草剤を使うのだそうですが、それでも草は生えてくるとこぼしていました。
昨日は大学での仕事を終えて午後4時過ぎに帰ってきました。妻が仕事に出ていて留守なので作業着に着替えて鍬を持って畑に出ました。そして夏みかんの園地内で草削りを少しだけしました。僅か1時間程度の作業でしたが、親父は大層喜んでくれました。
草削りをすると日ごろ使わない腕の筋肉を使うため体力作りになったのでしょうか、小腹が空いて昨日の夕食は殊の外美味しくいただきました。今日は私の春休みです。お弁当を持って人間牧場へ作業に出かける予定です。
「植えぬのに 肥料もやらぬ 雑草は どうしてこうも 毎年豊作」
「雑草の ようになりたや 逞しく 踏まれけずられ それでも生える」
「おばちゃんが 及第点を つけた庭 親父の苦労 少し報われ」
「春が来た 喜びばかり 言うけれど 草引く者は 気持ち重たく」