shin-1さんの日記

○お酒を止めて早9年になりました

 私にとって21世紀が始まった2001年は忘れられない思い出の年でした。この年はおふくろが亡くなり、えひめ丸が沈没し、自らも胆のう摘出手術を受けるなど、内外ともに多難でした。その年からおふくろに誓い、えひめ丸に誓い、そして自分自身の健康のためにあれ程飲んでいた酒を断ったのです。酒も煙草も中々止めれるものではありません。幸いたばこは生まれてこの方吸った経験がないので分かりませんが、つきあいのある酒も中々やめれるものではありません。それは胃ガンで胃の摘出手術をしながらそれでも酒を止めれない人を見ても明らかなのです。

若松進一ブログ (送別会もいつとはなしに大酒飲みの会になりました)

 でも私は「あなたは偉い」と妻が褒めてくれるように私はきっぱり酒を断つことが出来たのです。今はそのきっかけになったおふくろの死やえひめ丸の沈没、自分自身の病気など転機となった悲しい出来事に感謝するのです。元来私は酒が心から好きでなかったのかも知れません。青年団で反吐を吐くほど酒の修業をさせられ、その挙句呑み過ぎたのか病気になり、そのことがきっかけで役場に入庁しました。その後養生のつもりで5年間は酒を止めていましたが、社会教育やまちづくりの世界に没頭するようになって再び酒を呑み始め、2001年まではたらふく酒を呑んだように思うのです。しかし50代の10年間は人間牧場構想を実現するため資金集めの一環として毎月10日間酒を止めその日には呑んだつもりで一日千円のつもり貯金をして10年間で百二十万円を貯めたのですから、自分が自分を偉いと褒めるのです。私の場合0か100なので、呑むのであれば思いきり100、呑まないのであれば0という考えなのが酒を断つことができた最大の要因なのです。

若松進一ブログ (こんなに飲めるとは羨ましい限りです)

 最近まで飲み会は冷たいウーロン茶を飲んでいましたが、ウーロン茶を飲み過ぎると体の調子が悪いようなので、このところは熱いお茶を飲むようにしています。笑い話ですが冷たいウーロン茶はそれなりのお金がいるのに熱いお茶はタダなのです。昨日も熱いお茶を店員さんに不思議がられながら3杯もお代りをしてしまいました。お茶は体に合うのか多少の見過ぎても二日酔いににはなりません。唯一の害は夜トイレに起きなければならないことくらいです。でもビールだって飲み過ぎるとトイレが近くなるし、酒の匂いは飲まなくなって久しい私には少々臭い話になるのです。

若松進一ブログ (岡崎事務局長のエールについほろりとしました)

 酒を飲んでいた頃は10円タクシーと呼ばれた妻の自家用車での迎えや、帰り際のラーメン食いなど暴飲暴食と妻への迷惑は常習でした。お陰でラーメンに付き合った妻はいつの間にか気がついた頃には小太りして、ダイエットに一苦労も二苦労もしたようです。

 「酒を呑まずにまちづくりなど語れるか」と言っていた私が、今では「酒を呑まないと語れないようなまちづくりは本物ではない」と言っているのですからいい加減なものです。それでもふと酒の勢いを借りて仕事をした昔が懐かしく、やはり神代の昔から酒は元気の出る水だと思っているのです。

 多分私は自分自身への誓いもあって死ぬまで酒を呑まないだろうと思います。そのことで少しでも長生きできるとしたら、それはそれでいい終り方だったと思うのです。

  「酒のない 国へ行きたし 二日酔い 三日三晩の 気持ち悪さよ」

  「酒断って あれから九年 経ったのか これから先も 死ぬまで止める」

  「母感謝 えひめ丸にも 感謝する 病気にまでも 感謝忘れず」

  「酔うほどに くどい話の 友人を 見ては昔の 自分と重ね」

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shin-1さんの日記

○22年間最後の日が終わる

 特別な日と思って臨んだ昨日は直前まで愛媛大学農学部の研究室で仕事をして、午後からえひめ地域政策研究センターの会議室で開かれた、えひめ地域づくり研究会議の今年最後の運営委員会に出席しました。久しぶりに大勢の運営員が参加して賑やかでした。冒頭県庁市町振興課の北村課長さんがわざわざ見えられ、全国大会のお礼のご挨拶をされました。北村課長さんは国からの出向職員ですが、物腰も考えも柔軟な方で、全国大会を巡る様々な場面で物心両面のご支援を受けたのです。栗田所長さんとともに加戸愛媛県知事の大会出席に尽力いただきましたし、東京組との橋渡しや予算獲得に力を発揮していただきました。実動部隊の私たちをが頑張れたのも北村課長さんの力が大きかったと思っています。実行委員長として短めながらお礼のあいさつをさせてもらいました。

 会議は今期限りで退任する私が最後の仕事として司会進行をやりました。私は決められた時間内に終わらせる名人?、迷人なので今回も今年度の事業報告や決算見込みなどの案件を、すんなり進行をすることができました。また今年度が運営員の任期とあって人事案件も議論されましたが、私としては難産の末それぞれの人が退任し、それぞれの人が選任され、新年度の運営委員会で次期役員が決まるような道筋だけ付けて終りました。

若松進一ブログ(今年度最後の運営委員会)

 私にとってもえひめ地域づくり研究会議は結成以来22年間、事務局長や代表運営委員などとしてバトンを持ち続けて来ました。その模様は100号記念の舞タウンという雑誌や、風おこしという機関紙に少し長めの追憶文を書いているので読んでいただければと思うのです。

 まちづくりや地域づくりを目指した私にとって、えひめ地域づくり研究会議での22年は今日が特別な日だと冒頭に書いたように、特別な意味を持っていました。双海町というわが住む町を夕日をテーマに活性化する草鞋と、21世紀えひめニューフロンティアグループの代表として無人島に挑む少年の集いなどのボランティア活動をする草鞋、それに松山工業高校PTA会長(会長6年・副会長1年・常任理事1年・中予地区会長5年・高P連県副会長5年)として活動する草鞋の三足を履いての忙しい日々でした。それでも大過なくフロンティアグループの代表を除いて草鞋を脱ぐことが出来たのは、皆さんのお陰だし、研究会議で誘拐無形の沢山のものを学ばせていただきました。この場を借りて関係者に厚くお礼申し上げます。

若松進一ブログ(私にとっても最後の運営委員会)
若松進一ブログ(熱弁をふるう清水研究員)

 昨日は今期限りでそれぞれの出向元へ帰って行く研究員三名の発表会もありました。坂本さんは久万高原町へ、谷本さんは宇和島市へ、清水さんはJAへと古巣に帰ってセンターで学んだことを生かしてくれることでしょう。

彼らと同じように私もまた研究会議で学んだことを生かして双海という地で恩返しの活動を続けるつもりです。

 坂本さんは色について語られました。純真無垢な色だった彼もこの2年間ですっかり七色を内蔵するまでに成長しました。清水さんは気象予報士の資格を持つ変わった経歴の持ち主ですが、彼の哲学を熱っぽく話してくれました。清水さんとはこの5年間最も近しい人だっただけに、今日からが旅立ちや活動の新たな始まりだと思って協働するつもりです。特に昨年から始めた私塾や年輪塾ネットを武器に新境地を開きたいと思っています。

 会議終了後宇和海という店で開いた送別会は、九州大学の教授となった丹羽さんも加わり賑やかな主演となりました。最後に盟友の岡崎事務局長が応援エールを送ってくれました。また渡辺浩二さんがまちづくり締めを行い、少しだけ後ろ髪を引かれる思いの22年間最後の一日は終わりました。


  「重き荷を 背負い歩いた 二十二年 わが人生の 大半でした」

  「長い日々 過ぎてしまえば 楽しこと ばかり浮かんで 苦しさ忘れ」

  「書き遺し おかねばならぬ 二十二年 記憶あるうち さらりと書こう」

  「記憶など 当てにならぬと 記録する ブログだけでも 私にとって」 


  

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