○日本人の暮らしには旧暦が一番
毎朝台所に吊るしてある日めぐりカレンダーを、一枚一枚破り取る度に日々の過ぎて行く速さに驚き、「歳をとると一日があっという間に過ぎて、今日は3月も下旬か」なんて会話を妻と毎日のように交わしているのです。破った昨日の3月22日という一枚はもう永久に帰って来ないのですが、破り捨てようとしたハガキ一枚ほどの紙は、日曜日だったゆえ真っ赤な字で書かれ、沢山の言葉に交じって旧暦で2月26日と記されていました。
私たちの暮らしは殆どが新暦で回っています。何をするにも新暦なのですが、農業や漁業に縁の深い私たちの地方では、なくなったはずの旧暦がしっかりと生きているから不思議です。地球に最も影響を及ぼすのは太陽と月です。一年365日で太陽の周りを公転する動きもさることながら、毎月一回地球の周りを回る月は、潮の満ち引きに大きく関係し、あらためて宇宙の不思議を思うのです。海で漁をする漁師さんにとって月齢は重要な意味を持っています。満月と新月は一ヵ月のうち最も潮の流れが速く、特に春先とお盆の頃は特に大きく塩が膨れ上がるのです。潮の読み方一つで魚がたくさん取れて大漁になったりするのですから、潮をよむ第六感がたけている人は大きな収入を得ますが、逆に潮のよみを間違えると網を破ったりして散々な目に遭うのです。
最近はレーダーや魚群探知機が普及発達し、GPSを使えば魚礁などのデーターがインプットされていて、かなり正確な漁業が営まれるようになってきましたが、その分潮をよむ技はどんどん低下しているようです。
私も若いころ7年間漁師をして潮をよむ名人といわれた親父のもとで修業をしました。潮をよむ技術は体験以外から学ぶことはできず、むしろ盗みとらなければならないのです。残念ながら病気がもとで漁師の道を断念しましたが、もし私があのまま漁師を続けていたらどんな技を身につけたのだろうと思いながら、今はすっかり用をなさなくなった旧暦の暦を見るのです。
漁業ほどではありませんが農業の分野でも旧暦の暦は作業の中に生きていて、種まきや収穫などに関する農作業のことわざは殆ど旧暦で言われています。「八重桜が散ったら霜の害はまずない」などという言葉も、冷害に悩む農民の暮らしをよく表現しているのです。
今は昼と夜の長さが同じ春分の日前後です。昼の長さが最も短かった冬至(12月22日)と比べると、約2時間も昼が長くなっているのです。一日一日の夜が明ける時間はそんない変わらないのに、月日の積み重ねが大きな変化を生んでいるのです。春分の日が過ぎると春は一気に駆け足でやってきます。早い遅いと一喜一憂した桜も、昨日の温かい雨風で一気に開花が進み、この週末には桜の花見を楽しむ人たちで賑わうことでしょう。
わが家も親父の体内時計のように長年にわたって組み込まれた旧暦の暦のお陰で、今年も様々な農作業が行われます。既に「椿さんが終わるとジャガイモを植える」とか、「春分が来ると里芋を植える」という親父の言うとおり植えました。ジャガイモは既に芽を出し始めていて、畑へ行くのが楽しみになってきました。今年こそはと昨年の失敗を繰り返さないよう種まきの時期を考えています。
これからも新暦の下に言いわけ程度に書かれている旧暦の暦を見ながら暮らしたいものです。
「日めぐりの 言いわけ程度の 旧暦を 大事にわが家 今年も作業」
「染みついた 親父の体の DNA 旧暦元に 今も暮らして」
「そういえば なるほど思う ことばかり 故事ことわざに 旧暦生きて」
「この町は 農業漁業 生きている 人が多くて 旧暦標準」