○迷ったら心の羅針盤を信じて進め
人間は弱い動物で、いつも不安に駆られるものです。何処かへ出かけるとき車に乗ってから「はてさて、電気は消したか、ガスは消したか?」と不安になります。昨日はお彼岸ということもあって妻と二人でお墓参りに出かけました。その足で隣町の昨年の春亡くなった叔父の家へ新彼岸のお供えを持って出かけましたが、妻は車が走り出してから、「お父さん、私ガスを消したかしら?」というものですから、再び引き返して家に帰り確認したのです。結果的にはガスも電気も消されていましたが、この歳になるとついさっきまでの記憶が飛んで、ひどい時などは「はて私は何をしようとしていたのか?」なんてことしょっちゅうなのです。こんな場合は「迷ったら元の道を引き返せ」という格言がピッたりなのです。そうすればたとえそれが無駄な行動だと思っても、結果的には大きなリスクをせずに済むのです。余程なことがない限り電気の消し忘れで火事になることはありませんが、ガスやアイロンとなると話は別で、大火事になる危険性だってあるのです。
わが家はもう30年も前に小さなボヤ騒ぎを起こしました。私が無人島キャンプに息子を連れて参加した最初の年は、台風にも似た暴風雨で散々な目に遭いました。ずぶ濡れになって疲労困憊した私たちを迎えるため妻は美味しいてんぷらを揚げていました。そこへ私たちが「ただ今」と帰りました。妻はてんぷらを揚げていることより私たちの帰宅に気を取られ、私たちの身の回りの世話に熱中しました。
ものの4~5分すると家の中に白い煙が立ち込め、ガス台から火の手が上がっているのです。驚いたのなんのって、急いで消火器で消し大火は免れましたが、新築間もないというのに網戸やサッシの一部を焦がしてしまったのです。このボヤは火災保険の適用を受けてすっかり復元されその痕跡は跡形もなくなりましたが、それ以来妻はガスには敏感過ぎるほど敏感になって、出かける度に2度3度確認をするのです。
私も妻もこんなおっちょこちょいな人に言えない恥ずかしいエピソードを、幾つも秘めながら今日まで大過なく過ごしてきたのですが、お陰さまでガスだけはしっかりと確認する習慣がつきました。
しかしこんな小さな引き返すことのできることはいいのですが、人生には一度や二度、大きな迷い道へ迷い込むことがあるのです。仕事のこと、夫婦のこと、子どもの人生などなど、人から見れば些細なことながら私にとって修羅場とも思える幾つもの迷い道に迷いこみました。
その時「迷ったら心の羅針盤を信じて進め」という実習船えひめ丸の船長さんから聞いた話を思い出し、事なきを得たのです。私は宇和島水産高校に学びました。高校3年生の時実習船で南太平洋を航海しましたが、地球の大きさから比べればほんの小さな実習船が珊瑚海を目指し、再び日本を目指す大航海はまさに引き返すことのできない旅でした。「迷ったら心の羅針盤信じて、本物の羅針盤を見ながら進む」えひめ丸の進路は私の人生そのもののだったように思うのです。
人間は幾つもの岐路に立たされます。その都度迷いその都度進路を決めて生きて行かねばなりませんが、せめて信じる道が正しい方向であるような人生を送りたいものです。
「迷い道 右か左か 真っ直ぐか 時には勇気 引き返すこと」
「迷ったら 心に羅針 盤描き 信じる道を ただひたすらに」
「人生を 振り返りつつ 思うこと いい羅針盤を 持った幸せ」
「ガス消した? 戻るロスなど しれたもの 大火思えば どうてことない」