○22年間最後の日が終わる
特別な日と思って臨んだ昨日は直前まで愛媛大学農学部の研究室で仕事をして、午後からえひめ地域政策研究センターの会議室で開かれた、えひめ地域づくり研究会議の今年最後の運営委員会に出席しました。久しぶりに大勢の運営員が参加して賑やかでした。冒頭県庁市町振興課の北村課長さんがわざわざ見えられ、全国大会のお礼のご挨拶をされました。北村課長さんは国からの出向職員ですが、物腰も考えも柔軟な方で、全国大会を巡る様々な場面で物心両面のご支援を受けたのです。栗田所長さんとともに加戸愛媛県知事の大会出席に尽力いただきましたし、東京組との橋渡しや予算獲得に力を発揮していただきました。実動部隊の私たちをが頑張れたのも北村課長さんの力が大きかったと思っています。実行委員長として短めながらお礼のあいさつをさせてもらいました。
会議は今期限りで退任する私が最後の仕事として司会進行をやりました。私は決められた時間内に終わらせる名人?、迷人なので今回も今年度の事業報告や決算見込みなどの案件を、すんなり進行をすることができました。また今年度が運営員の任期とあって人事案件も議論されましたが、私としては難産の末それぞれの人が退任し、それぞれの人が選任され、新年度の運営委員会で次期役員が決まるような道筋だけ付けて終りました。
私にとってもえひめ地域づくり研究会議は結成以来22年間、事務局長や代表運営委員などとしてバトンを持ち続けて来ました。その模様は100号記念の舞タウンという雑誌や、風おこしという機関紙に少し長めの追憶文を書いているので読んでいただければと思うのです。
まちづくりや地域づくりを目指した私にとって、えひめ地域づくり研究会議での22年は今日が特別な日だと冒頭に書いたように、特別な意味を持っていました。双海町というわが住む町を夕日をテーマに活性化する草鞋と、21世紀えひめニューフロンティアグループの代表として無人島に挑む少年の集いなどのボランティア活動をする草鞋、それに松山工業高校PTA会長(会長6年・副会長1年・常任理事1年・中予地区会長5年・高P連県副会長5年)として活動する草鞋の三足を履いての忙しい日々でした。それでも大過なくフロンティアグループの代表を除いて草鞋を脱ぐことが出来たのは、皆さんのお陰だし、研究会議で誘拐無形の沢山のものを学ばせていただきました。この場を借りて関係者に厚くお礼申し上げます。
(私にとっても最後の運営委員会)
(熱弁をふるう清水研究員)
昨日は今期限りでそれぞれの出向元へ帰って行く研究員三名の発表会もありました。坂本さんは久万高原町へ、谷本さんは宇和島市へ、清水さんはJAへと古巣に帰ってセンターで学んだことを生かしてくれることでしょう。
彼らと同じように私もまた研究会議で学んだことを生かして双海という地で恩返しの活動を続けるつもりです。
坂本さんは色について語られました。純真無垢な色だった彼もこの2年間ですっかり七色を内蔵するまでに成長しました。清水さんは気象予報士の資格を持つ変わった経歴の持ち主ですが、彼の哲学を熱っぽく話してくれました。清水さんとはこの5年間最も近しい人だっただけに、今日からが旅立ちや活動の新たな始まりだと思って協働するつもりです。特に昨年から始めた私塾や年輪塾ネットを武器に新境地を開きたいと思っています。
会議終了後宇和海という店で開いた送別会は、九州大学の教授となった丹羽さんも加わり賑やかな主演となりました。最後に盟友の岡崎事務局長が応援エールを送ってくれました。また渡辺浩二さんがまちづくり締めを行い、少しだけ後ろ髪を引かれる思いの22年間最後の一日は終わりました。
「重き荷を 背負い歩いた 二十二年 わが人生の 大半でした」
「長い日々 過ぎてしまえば 楽しこと ばかり浮かんで 苦しさ忘れ」
「書き遺し おかねばならぬ 二十二年 記憶あるうち さらりと書こう」
「記憶など 当てにならぬと 記録する ブログだけでも 私にとって」