○八幡浜までの道
私たちが結婚した昭和46年頃、妻の実家である八幡浜へ行くのには双海~長浜~大洲~夜昼トンネル~八幡浜のルートが一番近い道で、それでも1時間半はかかっていました。ところが海岸線の道が国道に昇格して改良が進み、さらに最大の難所といわれていたごぜヶ峠にトンネルが抜けてからは時間が一気に短縮されて、海岸線を利用するとわずか1時間弱で八幡浜に到着するのですから、道の効果は大変なものだと感心するのです。そんな道を通って今日は八幡浜市保内町の保内幼稚園へ行きました。秋真っただ中の瀬戸内は穏やかに晴れ渡り、とても気持ちのいい風景を右手に見ながら走りました。いつも見慣れた光景とはいいながら沖合には芸予の島々が綺麗に遠望でき、道端にはツワブキや野菊の花も咲き乱れ、「私は何て素敵な場所に住んでいるのだろう」と思った程です。また何気ない光景ですが小さく入り組んだ入り江には漁村もあったり、岬の向こうには伊方原子力発電所の白い建物が見え隠れしていました。
合併して八幡浜となった保内町に入るとすぐ近くに旧保内町が建てた大きな看板があって、そこには裏側から見るとふたみシーサイド公園まで28キロと表示されていて、よその町の施設まで懇切丁寧に案内する南予人の人の良さが窺え、ここを通る度についつい嬉しくなるのです。
やがて二つのトンネルを抜けるとやがて②キロ半もある長い長いトンネルに入りました。これが佐田岬半島の付け根を横切りるごぜヶ峠のトンネルです。このトンネルが抜けてから佐田岬半島頂上線潮風めりディーラインと夕やけこやけラインは結ばれ、すごく便利になったのです。
今回で3度目となる保内幼稚園には予定より早く9時10分に到着しました。先生たちは今日の準備に余念がなく私は通された応接間で今日のノルマであるハガキを3枚したためました。これも生活の知恵なのです。やがて県教委の指導主事の先生たちや金融広報委員会の山下女史も見えられ、金銭教育指定校訪問の授業が始まりました。この日は「お祭り遊び」「お買い物ごっこ」「おじいちゃん・おばあちゃんとふれあい遊び」という3つのプログラムが用意されていました。もう既にこの地方の秋祭は終わっていますが、お神輿担ぎ、鹿踊り、唐獅子舞い、おしょうにん担ぎなどは作りものも良くできていて、地域文化を子供らしく見事に復元していて感心することばかりでした。
お買い物ごっこもくじ引き、ユーヨー釣り、輪投げ、おやつ食べなどなど、遊びを通して世代間の交流が賑やかに行われ、田舎ならではの微笑ましい光景を目の当たりにしました。今日は指定校訪問なので何がしかの指導をしなければならない手はずになっていましたが、所要でどうしても先に帰らなければならなくなり、感想を述べることはできませんでした。でももし私に今日の感想を聞かれたら、多分「ベリーグー」と答えたでしょう。子どものころに覚えた伝統文化への関心は大きくなっても忘れることはないのです。
百人以上の観客が詰めかけ、会場は熱気に包まれていました。その模様を写真に撮りましたので少し紹介しておきます。
(花神輿を担いで煉り歩く園児たち)
(五鹿の恰好がなんとも微笑ましい園児たち)
(南予名物の牛鬼も登場しました)
「トンネルを 抜けるとそこは 黒潮の 恵みいただく みかんふるさと」
「獅子舞や 五鹿までも 出て踊る 偉いもんだね 三つ子の魂」
「この子らに 教える人の 御苦労を 思うと余計 胸ジーンとして」
「結婚の ころは遠いと 思ってた 今は実家も あっという間に」