○新聞スクラップ
年に何回かは休刊日があるものの、殆ど毎日休むことなく送り届けられて来る新聞を見ながら、一定の法則に従って情報を集めているとはいえ、よく枯渇しないものだと感心します。まあ地球上に、世界中に、そして日本中にこれほどの人類が住んでいるのですから、古くなった情報もあれば新しく生まれる情報もあるので、当然といえば当然かも知れませんが私たちは新聞のお陰で共通の話題を共有できるのですから有難い話です。
私は朝食を食べながら新聞を大広げに広げて読みますが、都会の人はあの狭い電車の中で新聞をきちんと折りたたみ、人の迷惑のかからないように読んでいるのを見て感心したことが何度かあります。先日東京へ行った折山手線の電車に乗りましたが、その方はまず新聞の真ん中にずれないように何かを差し込んでいるようでした。見ず知らずの人間ながら興味があったので声をかけ、見せてもらうとまるで胸ポケットに差し込むペンシルのような専用の小道後でした。早い話が割っていない未使用割り箸のようなものなのです。気が付いて辺りを見渡すと、何人か新聞の真ん中にその部をはさんでいる人がいました。こうすると新聞がずれずに読めるのだそうです。その人たちは新聞を縦長半分に折り○でページを開くようにして器用に読んでいるのです。ここにも都会ならではの工夫があるようでした、私も見習って持っていたボールペンを真ん中に突き刺して読んでみましたが、これもちょっとしたアイデアでした。私が声をかけたその方は電車から降りる折、私にその小道具を手渡し、「2本持っているので差し上げる」と言って電車を降りて行きました。余程私が田舎者の珍しがり屋に見えたのでしょう。
私はもう30年間も新聞のスクラップをやっています。スクラップといっても、ただ双海町に関係する記事を丹念に切り抜いて大きな段ボール箱に入れる作業だけなのです。かつてはそれらをスクラップブックにノリで張ったり、フォルダーに入れたりしていましたが、忙しい日々の中でそんな時間的余裕もなく、ついついそのうち族になって段ボール入りになりました。
私はいつの日かこれらのスクラップ記事にいくつかを、人間牧場の木の壁いっぱいに張り付けたいと思っています。というのもわが家を新築するにあたって古い家を取り壊した時、古い破れた襖を海岸に運び焼却する折、襖紙の裏張りに戦後間もない古い新聞が何枚も貼り合わせたて出てきたのを思い出したからなのです。襖には襖絵というのがありますが、襖にスクラップした新聞を張るのは面白いという発想がいつも頭を離れないのです。どうせこの話をすれば人間牧場の設計をしてくれた息子は「そんな汚いことをするな」と絶対反対するでしょう。せっかく木目を基調にした素敵な空間を設計しているのですから言われても仕方がないのです。
息子が子どものころ私が古民家風の「煙会所」という茶室を作りました。淀屋壁という古風な壁をこだわって塗りましたが、気に入っていたその壁に息子は大胆にも割りばしでドラえもんの絵を書いてしまったのです。一番目につく場所だったので、私は激怒し息子を叱りました。上塗りせねばと思いつつ30年の時が過ぎました。今もその絵は描かれたままなのですが、恥の上塗りという言葉のとおりこの絵を消さなかったことを今は内心喜んでいます。同じようなことを考える親子だと今は苦笑しています。
早いもので今年も後2ヶ月となりました。今年切り抜いた新聞や、掲載された雑誌の溜まり具合を見るにつけ、今年も沢山のスクラップをすたものだと感心しています。これらの行き場所が段ボールでは余りにも知恵がなさ過ぎます。何とか日の目を見せたいものです。例えば整理をして「新聞スクラップから見た双海町の盛衰なんて看板を掲げ、ロビー展でもしたら面白いかも知れないとふと思いました。「そうだ、やろう」。
「また今年 新聞切り抜き 山のよう いつか日の目を 思うが箱に」
「親子さえ こうも考え 違うのか 思いつ切った 新聞張る夢」
「切り抜いた 記事読みながら 懐かしく 時の流れの 早さしみじみ」
「懐かしむ 歳になったか 後ろ見りゃ 過ぎた日々方 前より長く」