○山里に同級生を訪ねる
今朝妻から、「お魚が少しあるんだけど中野さん宅へ届けてくれない!」と頼まれました。中野さんとは旧姓徳山貞子さんのことです。中野さんは双海町松尾地区の出身で私と中学校の同級生なのです。東京オリンピックのあった年にひと山越えた大洲市柳沢田処の中野博樹さんの元へ嫁がれました。結婚してもう45年が過ぎている計算になります。彼女は大洲市柳沢地区公民館の嘱託職員として10年余り勤務していましたが、その折地域づくりの拠点だった柳沢地区公民館にちょくちょく出かけていたため、深い仲ならぬ集団での深い付き合いが始まり、今も家族ぐるみで知り合いなのです。
私は彼女の家には2度ばかり行ったのですが、残念ながら夜ばかりでその場所を覚えていないのです。そこで家の電話番号を調べて電話し、在宅かどうか、家への侵入場所はどの辺だったか大まか聞きました。そして出発したのです。下灘から国道378号を左に曲がって大洲・内子線の曲がりくねった見慣れた県道を走りました。そして双海町と大洲市の境にある朝ヶ峠を超えました。峠を超えてもしばらくの間は伊予市分ですが、やがて彼女の説明にあった東境という地区名の看板がありました。どことなく見覚えのあるような風景を見ながら東集会所辺りで携帯電話を入れると彼女が出て、お堂や銀杏の木など目に見える目標物をさらに細かく教えてもらい、すんなり到着です。
彼女の家は雲海が見えるような急峻な高地にありました。私たちの町の人はこいった場所を「空」と呼んでいて、「空」という表現がぴったりだと思いました。家では彼女と姑さんが温かく迎えてくれました。「まあお茶でも」と勧められるままに家に上がって雑談に講じました。姑さんの息子さんとは顔見知りなので親子のそっくりな風貌に感心しましたが、今日は私の町はお祭りなので、神輿がやってくるから早く帰るよう妻から言われていたのでお茶を飲み干し、早々にお暇しました。お土産にクリやユズ、梅干し、ヒシオ味噌など沢山の産品までいただきました。(そういえば何年か前、大分県大山町の緒方さんから「梅干しの主張全国大会」という変わったイベントに梅干しを出品するよう、頼まれて中野貞子さんに送ってもらった経緯があるのです。
(田処の地域に溶け込んで、すっかり田舎のおばさんになっている旧姓徳山貞子さんと、仲睦まじい嫁ぎ先中野の姑さんをカメラに収めました)
私が訪ねた時は雨も小ぶりでしたが、分かれ道に下りると、かなり強い雨が降り出しました。わかれ道の看板は合併していない時のまま「双海」という表示が残っていて時の流れを感じながらも、双海という知名で生きた時代が長かったため少しだけ嬉しいような気分になりました。
(双海という地名がまだ残っている大洲市田処にかかっている看板)
雨に煙る山里はもう秋たけなわで、ウルシの葉っぱが赤みを帯び、ケヤキも心なしか黄色く見えました。私の通った路線も昼間は殆ど通行量もなく、下まで降りる間に3台しか車に出会いませんでした。
聞けば田処の小学校も児童が激減、し間もなく廃校だそうです。中学校は学力の保証をしなければならないので統合はやむを得ませんが、私の持論は「小学校は歩いて行ける距離」が理想だと思うのです。でも金がないことを理由に自治体は合併し、その検証もしないまま今度はいよいよ悲しいかな学校の統廃合です。学校がなくなれば地域がさびれる、これは当たり前の理論ですが、最早反対する馬力もなく社会の荒波に飲み込まれようとしているのです。日本の政治の貧困さに憤りすら覚えるのです。
私は今夕再び々道を走って麓の田処にある活性化センターへ講演に行く予定です。今晩はそんな悲喜こもごもを話そうと思っています。雨で足元が悪いゆえ、しかも夜間午後7時30分からの講演会とあって果たして人が集まるかどうか心配していますが、夜の集会に向けてご案内いただいた妻と二人、間もなく出かける予定です。
「懐かしき 同窓の友 嫁いでる 山の向こうに 秋を訪ねて」
「看板に 今はもうない 地名見ゆ 少し嬉しく 少し寂しく」
「山里に 燃えて咲きたる 赤い花 夏の名残りか 一際綺麗」
「この川の 水はいずこに 流れ行く 延々海へ 水を集めて」
昨晩の集会のお誘いが