○第50回青少年赤十字研究会に参加しました
今日は朝から忙しい一日となりました。旧友で先輩の大森安幸さんが亡くなり、伊予市のルミエールという葬祭会館で11時から葬儀が行われました。本来なら何はさておいても葬儀に参列しなければならないのでしょうが、青少年赤十字研究会の講演を頼まれていて、やむなく少し早目に葬祭会館に到着して、柩に入った葬儀前の先輩の顔を見せてもらい最後のお別れをいいました。
午前中はそんなこんなで何かと忙しく取って返し、少し重たい気持ちを抱えながら約束の12時に間に合うよう下灘小学校に向かいました。結果的には少し遅れるかも知れないと電話で予告していたものの遅れず懐柔に到着しました。来賓控室である校長室には日本赤十字愛媛県支部の皆さんや伊予市の教育長さんたちが午前中の分科会や公開授業を終え、既に昼食の真っ最中で、失礼ながら私もその末席を汚して昼食をいただきました。
今日の集会には130人ほどが出席していて、いつになく盛会でした。この集会は1年前から計画されていて、私は異動して今は松山市内の小学校に勤務する池田前校長先生から講演のご依頼があった時は、こんな大きな集会とは知らなかったものですから、安請け合いに引き受けてしまい、今更ながらその軽率さを恥じましたが、これも後の祭りなので、腹をくくって望みました。
勇壮な下灘太鼓の演奏が終わるといよいよ午後の研修会の始まりです。最初に開会式が行われたあと下灘小学校の西尾先生がこの2年間の研究成果を発表されました。スライドを使ってするプレゼンテーションは中々のもので、存分に実力を発揮して、発表に対する質問も途切れることなく、いい研究討議でした。
続いて壇上に立った県教委義務教育課の田坂先生の指導助言も中々味のある話で、私の出番の前にそつのない二人の話が続いて少しだけプレッシャーを感じました。
青少年赤十字指導者協議会副会長鈴木先生の身に余る講師紹介をいただいた後壇上に立った私は80分間しゃべり続けたのです。
私の話は最初6歳から11歳まで果敢な少年時代に下灘小学校で3つの大きな影響を受けた話から入りました。
下灘小学校の北側眼下に広がる瀬戸内海に沈む夕日を見続けていた原風景の影響、校庭にあった二宮金次郎の銅像が読んでいた大学の一節の教え、さらには学校図書室で読み、誕生日に一人の先生からプレゼントされたジョン万次郎の生涯という本の影響など、私の原点となった話をしました。
参加者に手を挙げてもらったところ、私の話を聞いた、若しくは私の名前や顔を知っているという人が殆どで、私は少し話の内容を変えなけらばならないと直感し急遽話を差し替え社会の変化をしゃべりました。
青少年を取り巻く社会の変化
①子どもの数が減った
②子どもの家庭的・社会的役割が減った
③子どもの遊びが変わった
④子どもの毎日が忙しくなった
⑤子どもの周りが危なくなった
⑥子どもの親の生き方が変わった
⑦子どもが物質的に豊かになった
⑧子どもに仏壇教育ができなくなった
⑨子どもにふるさと感が少なくなった
⑩子どもに夢や仲間が少なくなった
その上で、これからの青少年教育への提案を行う予定でしたが、時間切れとなり項目羅列で終わってしまいました。
①新しい自分を発見させる。②自分の生き方を設計させる。③広い世界を体験させる。④失敗経験をさせる。⑤感動する心を育てる。⑥ふるさと教育を行う。⑦目に見えない偉大な力の存在を知らせる。⑧役立ち感を養う。⑨命の大切さを育てる。⑩人間力を育てる。と結びましたが、残念ながら普通より10分間短い講演時間でタイムスケジュールの歯車が狂ったようです。でも壇上からの感触は受け入れられたような感じでした。
「知り人が 殆ど顔を 揃えたる 研修会で 大いに喋る」
「赤恥を かいたであろう 研修会 やっと終わりて ホッと一息」
「このところ 少しハードが 続き過ぎ 充実するも オーバーワーク」
「進ちゃんと 呼ばれ思わず 振り返る 馴染みの子ども 声をかけくれ」