○SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の時代がやってきた
私は35年間にわたって田舎の役場に勤めていたお陰で、それなりの情報を手に入れることができました。その殆どは時代を反映したアナログな情報でした。新聞や雑誌や本などから得る情報は、今から考えると乏しい情報でしたが、それでもかなりの量の情報を入手でき、それなりに広い視野を得て仕事や活動に役立たせてきました。しかし役場を退職して自由人になってからはその道も半ば閉ざされ、町内情報さえ「そんなことも知らなかったのか」と落胆するほど情報音痴になっているのです。多分そのまま放っておいたら他の同僚だった人たちと同じように情報を得ることもなく自分の人生を終える運命にあったと思うのです。
しかし幸いなことに遅ればせながら、また力不足ながらパソコンとインターネットという武器を手に入れることができて、芥川龍之介のクモの糸ではありませんが、かろうじて情報が入るようになっていることは重ね重ね嬉しいことなのです。先日出会った役場の同僚だった人が、「役場を辞めてから煩わしさはなくなったが、情報が入らなくなってしまった」とこぼしていました。またある友人に私のブログの話をすると「ブログって何?」と頓珍漢なはなしをしていて、私のブログの秀作も知らない人には分からないものだとしみじみ思ったものです。
私は何人かのグループ作っている情報ネットワークを幾つか持っています。そのネットには近況から仕事、プライベートな話題、まちづくりの情報などが毎日のように書き込まれ、身近な情報を入手できるようになってます。お陰さまで情報音痴になることもなく最低限の情報は入ってくるのです。
しかしこの情報ネットワークもただ入ってくる誰かの情報をただ読んだり目にしたりするだけではいけないと思うのです。情報は受信も大切だが発信こそがいい情報に巡る会う手段だと思っているのです。私の「shin-1さんの日記」というブログもその一つで、飽きもせずもう3年間も毎日2本のブログ記事を書き綴っているのです。多い日には1500人もの人が読んでくれるのですからこの上ない情報発信手段です。ペーパーしか伝達手段のなかった昔は考えられないような時代になっているのです。
パソコンの不具合で何日か書き込みができない日々がありましたが、毎日読んでいる相手は正直で途端に読んでくれる人のカウントが下がるのですから、止める訳にもいかないし、ここが踏ん張りどころと3年間こつこつ書いているのです。
近頃メーリングリストに名を連ねながら、殆ど書き込みをしない人も何人かいて、逆に「はてあの人は最近音信不通だが元気でいるのやら」と心配する人も何人かいます。逆に書き込みを使って遊び半分でつまらない十方を流す人もいます。使わない人よりはましですが、何か勘違いしているような人もいるのです。
まあどこかでそんなネットを整理して自分の役に立つ、また人の役に立つSNSがこれからは求められているのかも知れません。
これまでの地域づくりでは考えられなかったような情報過多の時代がやってきました。重要情報・必要情報・聞き流し情報・廃棄情報の見極めも必要でしょうが、ネットワークシステムを武器として使う時代がやってきたようです。
「情報が ないので寂しい 言う人が 何人もいる だが何もせず」
「情報は 発信する人 のみぞ受く 受信だけでは 廃棄情報」
「ブログ何 そんな仲間も いるんです それでも生きて それでも仕事」
「もし俺に パソコンなくば どうだろう 今日からお手上げ グリコの看板」