○男の料理
私は不名誉ながら「男子厨房に入るべからず」タイプの古い人間です。したがって家ではご飯を炊いたこともなく、幸か不幸か今日まで生き延びてきました。ご飯を作って食べるくらいなら食べずに我慢する方がましだと、今でも思っているのですから変な男です。でもそのくらい妻の料理を楽しみにし、妻に全幅の信頼を寄せているのです。ですから妻もそのことは百も承知で、出かける時は2日であれば2日分、3日であれば三日分作り置きして出かけるのです。
妻は昨友、親しい友人たちとの食事会に出かけました。まもなく出かける頃下灘の親類から「お魚を取りにおいで」と電話がありました。ドレスアップまではしていませんが、お出かけモードになっている妻に頼まれ片道8キロの道のりを車を走らせました。そしてヒラアジや鯛、太刀魚などをトロ箱いっぱい貰ってきました。それを見るなり妻は、「帰ってからこの魚を処理するのは大変だから、構わない範囲で処理してくれない」とせがむのです。
昨日は人間牧場の草刈り後で作業服を着替えていないこともあって仕方がないと思いつつ魚の処理に挑戦しました。退職後3年余りになりますが、魚の下ごしらえはずいぶん機会があって上手くなったような錯覚を自分自身持っているので、約1時間外の流し台で格闘しました。半分くらい処理したところで綺麗に水洗いして、妻は冷凍庫に入れて出かけてしまいました。
頭と鱗と内臓としっぽを取り除き水洗いする作業は、魚が氷詰めされていたため冷たく、戸外での作業だったため最後は体まで冷え切りましたが、どうにか下ごしらえが出来上がりました。平たいボールに入れてラップをかけ冷蔵庫に入れ、残飯の処理や包丁の研ぎ直し、まな板、水周りの掃除を行ってやっと一段落しました。少し魚臭くなった作業着を脱衣場の洗濯機に入れて風呂に入りましたが、来客を知らせるチャイムが3度も鳴って、私は右往左往しました。秋祭の神社の寄付や組費の集金など、相手が知っている顔なので失礼ながらバスタオルのままでの対応となってしまいました。
今朝の新聞に昨晩調理した魚のことが載っていました。ここら辺ではひらあじという魚の学名は「かいわれ」というのだそうです。「かいわれ」とは貝割れを連想しますがその姿形で貝を割って食べることはできず、どうもカイワレ大根に由来しているのではないかというのです。尾びれも別に変っあ様子はなく言われてみればカイワレ大根に似ているような気もするのですが、とにかく煮付けにすると美味しい魚で、今晩の食卓が楽しみです。
最近少しずつ家庭の仕事が板に付いてきました。妻が働き私が自由人という負い目を感じているからなのか、昔ほど家のことは縦にも横にもしない姿勢は影をひそめ、ゴミ出しや畑の除草など以前よりは随分成長したように自分では思うのです。妻も同感で「最近優しくなった」と認めています。食べた後の食器はまだ台所へ持っていく程度の片づけしかできませんが、これも以前よりかは凄い進歩なのです。
近頃男の料理教室などが盛んに行われ私も誘われますが、わたしはまだそこまでの時間的な余裕がないのです。「そのうちお前が死んだら俺だって料理ぐらいはするぞ」と、裂きに逝くかも知れない自分のことを棚にあげてうそぶいています。できればそのうち、一品くらいは自分の自慢の料理も作れるようになりたいと思いながら包丁で魚の下こしらえをしたのです。10時過ぎ外出先から帰った妻は、全て下ごしらえした魚を見て驚き、「乙さんありがとう」(チュー)でした。
「俺だって 魚の処理は できるのよ さらに一歩が 踏み出せないだけ」
「まあ嬉し 外出帰った 妻の弁 妻の喜び 俺の喜び」
「ヒラアジを 沢山貰い 体冷え 風呂に入ると チャイムで冷える」
「自立する 人ごと思う これまでは これからめざす 自律と自立」