shin-1さんの日記

○ソバの花咲く越前路

 先日車を運転しながらカーラジオを聴いていると「旅するラジオ」という番組で福井県のことが紹介されていました。福井といえばその昔、鯖江市で開かれた全国地域づくりの発表会に、優良事例として原稿審査や事前調査を経てノミネートされた全国8か所の一つとして参加した懐かしい思い出があります。私たち(私と職員の2人)の発表が最優秀賞の国土庁長官賞と参加者の投票による一位となって鯖江市長が実行委員長を務める委員長賞をダブル受賞した思い出の地でもあるし、福井市の公民館大会に招かれて講演をしたこともあり、何かと思い出の多い土地なのです。その福井へ講演に行く予定もあって興味深く聞かせてもらいました。その話の中に越前そばの話がたくさん話されていました。その時思ったのです。「そうだ今度福井へ行く時には絶対そばを食べよう」と・・・・。

 やがてその日が来ました。福井へ講演に出かけるのです。しかもラジオ放送で聞いていた今立の近くのようなのです。福井駅まで迎えに来てくれた社南公民館主事の真柄さんともう一人の女性主事さんと三人で会場となる勝山市を目指しました。嬉しいことに越前そばの本場だけあって道の両側の田んぼには今を盛りと咲く真っ白いそばの花がどこまでも続いていました。越前に地方に住む人にとってそばの花は「ああもうそばの花が咲く秋が来たのか」と思う程度のようですが、私たち海沿いに住む人間にとってはとても新鮮で、「まてよ。このそばの花畑はひょっつとたらお金儲けにつながるかも知れない」と思ったりするのです。左や右にどこまでも続くそば畑はメルヘンタッチのようにも思えました。

 福井といえば恐竜、恐竜といえば勝山を思い出すくらい、勝山市は恐竜で有名です。街のあちこちには恐竜の造形物が沢山あって、恐竜に興味のある孫を連れてきてやると喜ぶだろうと思いました。また遠くには卵型の恐竜博物館が秋の日差しを浴びて遠くに眩しく輝いて見えました。



 私は恐竜博物館もさることながら、日本一といわれる勝山の大仏さんを見たいとねだって見学させてもらいました。臨済宗の清大寺は昭和62年に落慶した比較的新しお寺ですが、その規模たるや日本一といっても決して過言でなく度肝を抜かれてしまいました。このお寺は多田清という方が大実業家として立身出世いした恩に報いるため、資材を投げうって先祖の眠る地に22ヘクタールの敷地に大仏などを造っているのです。様々な願い事がかなえられた人がお礼に訪れる出世大仏として有名だそうで、この日も新潟から4台ものバスが到着していました。有名な奈良の大仏が16.2メートルだそうで、この仏像は17メートルもあり文字通り日本一だそうです。この大仏さまを安置した大仏殿も見応えのあるものでした。出来た頃はブームを呼んでいたそうですが、今は境内の出店もシャッターが閉まっている所もあってテーマパークの難しさを垣間見ました。

 公民館大会終了後、県公連事務局長の渡辺女史んp運転する車に乗せてもらい、夜の会場となる越前市へ向かいました。市内で御清水というそば屋さんで念願のそばをいただきました。大根おろしの入った付け汁にととろろの乗ったそばをつけて食べるのですが、やはり本場のそばは堪えられない味でした。私も同行した三人の女性もすべて大盛りを注文しました。お昼の金沢に店を持つ笹ずし弁当も中々のものでしたが、働いたためと一仕事終えた安堵から腹の空きを覚えていたため、美味しく頂きました。そばが大好物の私にとってはまさに至福の時でした。

 食事前、食事中、皆さんと公民館の在り方や現状について箸袋に図を描きながら問題点を共有するため話しこみましたが、それぞれの地域にはそれぞれの悩みがあるようです。その夜の講演では立場の違った人たちが会場いっぱいに詰めかけていました。あまり深入りの話をすることもできず悶々しましたが、分かる人には私の話の本心は分かったのではないかと思うのです。

 武生の駅前ホテルに泊めてもらいましたが、富阪さんたちの苦悩を思うと中々寝付かれない一夜を過ごしました。それでもウトウトし夜明けを待ってサンダーバードの一番列車に乗り込み、長い長い北陸トンネルを抜けて帰路につきました。車窓を眺めながら今回出会った印象的な人に列車の中でハガキをしたため、大阪駅を経由して夕方無事わが家に帰ってきました。山口から続いた長い日本列島の旅もやっと一段落です。

  「そばならぬ そばの花咲く 越前路 長閑に秋は 深まりゆきて」

  「大仏の 太さに度肝 抜かされて 気がつきゃ賽銭 入れるの忘れ」

  「恐竜の 模型あちこち 道端に これを巡れば きっと活性」

  「大根の 辛さに耐えて そばを食う 美味い美味いと 褒めつ音立て」

 

 

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