○大学の授業①
この5年間、毎週水曜日の午後6時から2時間、決まって私のスケジュールにセットされ続けてきたのは大学の講義でした。何の見識も持たない私に、ましてや高校しか出ていない私に、「大学の教壇に立たないか」と大学の先生から声がかかったのは今から6年前の夏ごろでした。当時は役場の地域振興課長を拝命して、まちづくりの第一線に立っていたこともあって、「幾らなんでもそればかりは」と最初は辞退しましたが、まちづくりの実績を評価されての強い要請だったので、恐れながら引き受けることにしました。しかし私が幾ら引き受けても任命権者である町長の承諾がなければ出来ないため、町長に直訴をしてしまいました。多分駄目だろうと半信半疑だった私に、懐の深い町長さんは「仕事に穴を開けない」約束でOKを出してくれたのです。ところが授業のカリキュラムが既に組まれた年明け早々私が教育長に就任することになって、その後辞退したものの動き出した船を止めることは出来ず、結局お忍びで始める事になったのです。
大学へは単発でお話しに行ったり社会教育主事講習の講師を務めたりした経験はあるものの、学びのシステムを飲み込むことが出来ず、最初は戸惑うことが多かったのですが、大学授業のアバウトさにも慣れて独自の授業構成を編み出して、それなりの評価や実績が出せるようになり今日まで続けて来たのです。それでも年間60時間の授業を組み立てることは中々骨が折れ、この仕事の奥の深さを痛感しているこの頃です。
私は愛媛大学法文学部総合政策学科非常勤講師という肩書きで教壇に立っています。春になると対象となる夜間主の学生全員を集めてガイダンスが行われ、講師陣がそれぞれ自分の講義の魅力について話すのです。いわば学生の分捕り合戦で、学生はそれぞれの講師の話を聞いて自分の学びたい分野を選択しカードに第一希望から第三希望まで理由を書き込むのです。このカードが先生たちによって第一希望を優先しながら分類され振り分けられて授業が始まるのです。例年ながら私を希望する学生は多くて、全ての要望には応えられませんが、それでも私を選んでくれたいとおしい学生たちに囲まれて、楽しい授業が続けてこられたのです。
私の授業はフィールドワークなので、県内の先進地と目されている場所へ盛んに学生を連れ出して、目や肌で現地の雰囲気から学ばせるよう心がけています。県内外から集まった学生にとって他市町村へ行くことなどほとんどないため、地域を調査研究といいながら市町村を巡ることはとても新鮮で熱心に学びました。
今の学生は授業に来ているのかアルバイトに来ているのか分らないとか、授業中に私語や携帯をするとか聞いていましたが、私の教室に限って言えばそんな学生は殆どいませんし、礼儀も正しい25人前後の学生が在籍してこの5年間いい雰囲気の学習を続けて来れました。
私にとってこの5年間はあっという間に過ぎ去りましたが、まちづくりに深く関わっているつもりでもまちづくりの現場に若者の姿は余り見ることが出来ないため、学生から逆に沢山の事を学びました。若者の意識と行動、若者とまちづくり、若者対策など5年前の私にはなかったワールドが広がっているのです。
人は意識してその世界に入り込まないと自分の価値観が損か得か、好きか嫌いかだけの判断でしか選べないのです。損しても嫌いでもその世界に入り込む勇気が必要なのです。正直言ってこの歳になって40歳以上も年齢差のある人との気力・体力・知力の偏差ギャップは歴然としていてきつい仕事です。でももう少し心の若さを得るために努力してみようと思うこの頃です。
「石の上 早くも五年 過ぎました 若さ学んで 老いがストップ」
「水曜日 来るのがどこか 待ち遠し ワクワクしつつ 裏口入門」
「先生と 呼ばれて返事 しない俺 も一度先生 われ振り返る」
「四十八 瞳キラキラ 輝いて 俺の瞳も 輝き増しつ」