○南海放送ラジオ出演
最近私のスケジュールをコントロールする場所が出現しました。といっても急に出来た訳ではなく以前からあったえひめ地域政策研究センターという場所です。私はえひめ地域づくり研究会議という小さな団体の代表運営委員を20年近くも務めていますが、その事務局がこのセンターにあるものですから、私が現役の頃からリタイアして自由人になった今日までも、私の触覚として働いてもらったし今も働いてもらっているのです。そんな古い付き合いもあってセンターとは良好な関係を保ってきました。
昨年はこの研究会議が発足20周年を迎えたため、記念行事を数こなすためスケジュール調整を随分してもらいました。20年で一区切りと退任を決意していた私でしたが、来年度に愛媛県で行われる地域づくり団体全国交流大会が行われるため、実行委員会が組織され行きがかり上抜き差しならぬこととなって、続投になってしまいました。そのスケジュールは既にコントロールされていますが、国土交通省の観光カリスマに選定されていることもあって双海町で今秋開いた観光カリスマ塾の現地事務局を無理を言ってセンターに置いてもらったため、そのスケジュールもコントロールしてもらったのです。
かかわりの深いセンターには馴染みの深い研究員も沢山いて、大学での講話をお願いしたり、舞たうんという機関紙に連載記事を書かせてもらったり、私のスケジュールは今はセンターなしでは考えられないほどになっているのです。
先日、清水研究員から唐突に南海放送ラジオの出演依頼が舞い込みました。テレビ向きでなくラジオ向きの顔をしていることもあって、一も二もなく引き受けましたが、その内容たるや先日カリスマ塾でやった夕日寄席をラジオでやるというのです。ディレクターはかつて夕やけコンサートでお世話になった乗松さん、DJは林さんというこれまた夕やけコンサートで世話になった人なので、気心知れている気安さから出演する事になりました。
午後1時35分から僅か10分間の出演でしたが、先週に清水研究員が出演して予告をしていたため、県内や町内から「あんたラジオで落語をやるそうな」と声や電話をかけられ、前人気は上場でした。
道後にあった南海放送がデジタル時代に対応するため南海放送本町会館へ移ってから、度々テレビには出ているものの全て録画編集だったため、初めて放送局へ出かけました。ラジオ放送のスタジオはオープンスタジオ的な雰囲気で喫茶店の中で話しているような感じでした。慣れているので別にリハーサルなどすることもなくいきなり本番です。清水研究員が渡していた出囃子で私の落語ならぬ落伍のお喋りが約4分出ました。その後林さんと楽しいお喋りを5分間やって、あっという間に終わってしまいました。
その間、戒田アナ、矢野ディレクター、江刺アナ、ララナカヤディレクターなどなど、懐かしい顔見知りの方々が次々見えられ近況を話しました。
観光カリスマ塾の一プログラムとして始めた落伍と落伍ライブが思わぬ広がりを見せ始めました。私の書いた高座本「夕焼け徒然草」という本もまだ一般には出回っておりませんが、読んだ方々からは好評を得ています。始まったばかりのまちづくり落伍ライブは清水研究員や松本研究員の後押しで仕上がったものだけに、これからも彼ら言うがまま、甘んじて泳がさせてもらう事にしようと思っています。
来春馬路村の木下課長さんからお声がかかっている講演会もひょっとしたらそんな悪ふざけで望んだ方が良いのかも知れないと、一人ニヤニヤしています。