○熊本へのひとり旅②
ご多分に漏れず市町村合併で私の訪ねた熊本県でも社会教育は瀕死の危機に直面していると聞きました。社会教育の中心となるべき職員が合併でやる気や熱意を失ったばかりでなくネットワークがズタズタになっているようです。加えて社会教育委員もその数は激減、予算の一律カットや社会教育施設の効果効率運営という名の下に施設の運営までも指定管理者制度という訳の分らぬ検討が行われているのです。かつて社会教育に情熱を燃やした会教育関係者は、「ふざけるな」といいたいけれどその力も行動もないのです。
そんな中でまちづくりを生涯学習の中心にすえて活動してきた私の話を聞きたいと、熊本県からお誘いがあり出かけたのです。
私の話は約2時間にも及びましたが、熊本県社会教育委員連絡協議会会長さんから後日届いたお礼のハガキが全てを物語っているようなので、あえて紹介します。
「昨日は熊本の社会教育の発展のため、貴重な体験を語っていただき、誠にありがとうございました。ご承知かと思いますが、市町村合併で社会教育委員数は激減し、財政も危機に陥り、お願いするのも弾られました。しかし快くお受けいただき感動しました。講演は大好評、これだけで大会は大成功となりました。来るときとは違ったキラキラ光り輝く表情で帰られる人を見て、しみじみ思いました。「よし、俺の町は、俺が背負ってやる」「社会教育委員は町の最高デザイナーたれ」、きっとそういう思いを強くされたのだろうと思います。閉会まで全員が残るという、今迄になかった現象が起こりました。人間感動すればこうなるの証左です。会長ありがとうと感謝のことばまでいただきました。本当にありがとうございました。
嬉しい便りです。私の講演で熊本の社会教育が変わることはないかも知れません。でも社会教育は結局人がするのですから、人の心に温かいやる気の種を蒔くことだって必要なのです。私はその種蒔きのお手伝いをしたにしか過ぎないのです。私も社会教育在任13年+2年=15年しかやっていませんが、それでも私の心の中に潜む暖かい血は紛れもなく社会教育の現場で育ったものなのです。
金がない、行政の理解がない、住民が集まらない、社会が大きく変化していると、社会教育の現場で働く職員から様々な言葉が帰ってきます。私流に言わせれば「そんな話は昔もいっぱい聞いた。だから社会教育が必要じゃないの」なのです。「金がなければ知恵を出せ、知恵が出なけりゃ汗を出せ、汗も出なけりゃ辞表出せ」は私の言葉です。行政に理解がないのではなく理解させていないだけなのです。社会教育には住民という立派な後ろ盾があることも忘れてはいけません。住民が集まらないのではなく集められないだけのことです。社会が大きく変化しているというけれど人間はそんなに変化していないのです。「やらないことをやれない」と言う間は、社会教育の大きな発展は望めないのです。
「熊本から、熊本へ」、私は数日前の講演による肉声と、こんな小さな名もなきブログで熊本の社会教育への熱い熱いメッセージを送っています。さて熊本の社会教育関係者の誰がこのメッセージを受け止めたり拾ったりしてくれるでしょう。ハガキで私にボールを投げ返してきた社教連の会長さんはさすがつわものです。市民に向き合わずパソコンに向かって仕事をしている愚か者が多いのであれば、わたしのこのデジタルメッセージはひょっとしたら見ているかもしれません。パソコン愚か者がパソコン賢者になるにはアンテナを高くしていい情報をキャッチし情報を処理する能力を持つことなのです。
「今頃は パソコン向かって 仕事する 何をしてるか 市民に向かえ」
「一枚の ハガキに感動 書き綴る 五十円だが 金では買えぬ」
「文化とは 立派な会館 だけじゃない より良く生きる 営み大事」
「熊本へ ブログで小さな メッセージ はてさて誰が 受けてくれるか」