shin-1さんの日記

○島根県隠岐・西ノ島へは難儀な旅でした(西ノ島旅ルポ①)

 昭和46年に結婚した私たち夫婦は、新婚旅行の目的地として島根県隠岐の島を選びました。選んだといっても私が一存で決めたことなので、妻は期待と不安に胸を躍らせて同行しましたが、結果的には妻の満足を得るような旅ではなかったと、あれからもう357年も前の出来事なのに妻は新婚旅行を思い出しては不平や不満をいうのです。それは目的地が悪いのではなく、新婚旅行を安上がりにしようと目論んだ私の目論見が外れただけの出来事なのです。たった5分の見合いで結婚を決意し、愛媛県の青年団連合会長をしていたこともあって結婚までに僅か5回程度しかデイトもしなかった上、新婚旅行が安上がりとあっては誰でも不満は出るのでしょうが、その罪滅ぼしもあって一昨年島後と昨年島前を講演のため相次いで訪れた折、思い切って妻を同伴したのでした。島後では教育委員会の斉藤さん、島前では町議会議員の角市さんと教育委員会の原さんという島人の温かいもてなしや案内に感激し、最近は妻の機嫌もすっかり雪解けになったのです。

 そんな折、西の島町の長会議会議員をしている角市正人さんから「隠岐牧畑シンポジウム」の基調講演とパネルディスカッションのパネラーとして参加して欲しい旨の依頼が飛び込んできました。私との出会いもこの計画の引き金になったとおだてられればその気にならない訳にもいかず結局は引き受けて今日までの3日間その催しに付き合いました。

 私の出番は10月7日だったので、前後の日程が積んでいるため最初一泊二日の予定で計画を立てましたが、二つの台風と低気圧がトリプル合体し発達するという珍しい天気の悪戯で大荒れの天気となり、日本海の荒波を越えなければならない交通事情もあって今回は大変難儀な旅になりました。

 角市さんから直前になって、「あくる日の高速船レインボーという船便の欠航が予想されるので、一日早めに来て欲しい」と連絡が入り、その日の会議をキャンセルさせてもらって、しまなみ海道を通って米子を経、境港に着いたのは出航30分前の午後2時でした。米子から境港に至る松並木の向こうには吹き付ける雨風とともに白波が押し寄せ、瀬戸内であれば完全に欠航するであろう雰囲気でしたが、冬の日本海の時化に慣れている人たちにとってはどういうこともないらしく、急いで乗船名簿に名前や住所を書いて切符を買いました。

 離島行きの船ながら沈香もそれなりにある大きな島だし、丁度祝日の関係もあって3連休のためか結構船内は込み合っていました。やがてドラの音とともに出航しましたが、境港の船着場がある内港を外に出ると海は大時化で、左右に激しくローリングを繰り返しました。この季節は北東の風が吹く程度で、まだ本格的な北西の季節風には程遠いのですが、発達中の低気圧の影響で

波は気象情報によると有に5メートルは越えているらしく、私たちの目から見るとまさに大時化の状態でした。

 まるで酒に酔った人が歩くようにトイレへ行くのにも足元はよろよろとふらついて、真っ直ぐ歩けない状態で、客室に横になっていても体が転げるような雰囲気でした。私は昔は船乗りでこのくらいの波は平気なのですが、若い女性は気分が悪くなったのか青ざめた顔でトイレへ駆け込んでいました。船が20分も遅れて到着したのですから、余程の時化に違いありません。

 港にはあらかじめ電話連絡していたので、角市さんが出迎えに来ていて、強風の中を同じ会に出席するであろう見知らぬ人とともに迎えの車に乗りました。すでに秋の陽は暮れかかり、少し肌寒い風がネクタイや背広を盛んに吹き飛ばすように吹き付けてきました。

 宿舎となった国民宿舎くにが荘に到着すると角市さんが「見晴らしのいい部屋をキープしていますので」ともったいぶったが、風当たりが強く、この日に限っては貧乏くじという意識になったのも無理からぬことなのです。それでも部屋に入ると2面総ガラス張りの部屋からは色々な景色が見えて、角市さんの心配りに随分感謝しました。

 岬の上に建つ国民宿舎国賀荘

 部屋から見える総ガラス張りの絶景

 部屋から見える広場のゲートボール風景

 別府から浦郷へ通じる島の大橋

 国民宿舎国賀荘から見える浦郷港周辺の景色

 室内から見える風景は思わず見とれるような美しさでした。大広間で他の宿泊者同席で夕食をいただきましたが、カニや刺身など日本海の荒海の恵みに大満足でした

  「難儀して 時化海越えし 隠岐の島 時の流れに 翻弄されつつ」

  「予測した 通りに船は 欠航し 早め旅立ち 先の杖なる」

  「日本も こうして見ると 広いねえ 家から一日 かかるのですから」

  「宿の窓 自慢の風景 広がりて 疲労を癒す 妙薬なりぬ」  

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