○ブログの空白日
私はよく旅に出ます。したがってよく家を空けるため今一番の悩みは家にいない日にブログが書き込めないことです。そんな場合ビジネスマンなどはマイパソコンを携帯して旅先や旅の途中で対応しているようですが、私はそこまではやる意欲もなく、むしろ旅を楽しむ方に重きを置いています。人間牧場へパソコンを持ち込まないのもある意味で情報化社会と断ち切った非日常を作りたかったからなのです。
しかし、旅が長引くとブログのことが何となく気になり、行く前と帰った後では堰を切ったように書き貯めをするのです。読む人にとって見れば多少窮屈かもしれませんが、私はブログを目には見えない読者に読んでいただくという側面と同時に、情報化社会にあって自分の記録を残すというまさに日記風的な活用に軸足を置いているのです。ですからブログの空白日はまるで気の抜けたサイダーのような感じがしています。
私にも皆さんと同じように密かな記念日があります。二日前の10月3日は私の62歳の誕生日でしたし、昨日は母の命日でした。ところが10月3日は家を空けていないにもかかわらず、大学のフィールドワークの受け入れなどで忙しかったため、記念日なのに残念ながらブログの空白日になってしまったのです。勿論明くる日誕生日の花束などについては記録したのですが、その日の記事はそんなに大袈裟なことではないものの永久に書けないのです。
ブログを書きながら感心するのは、過去のデーターが全て検索できるという点です。時々思い出して検索して見ますが、便利で月々の原稿の数までデーターとして記憶されているのは、私のようにパソコンの情報を整理整頓することが下手糞な人間にとっては、パソコンソフトも必要なく極めて便利な道具であり、改めてブログを勧めてくれた娘婿に感謝する今日この頃です。
去年のこの頃まで私はアンチパソコンでした。人の顔の見えない部分でやり取りする情報手段は無責任で非人間的だと一途に思っていました。しかしパソコンがなければ私の仕事も成り立たなくなって、仕方なく最低限の仕事が出来るような情報アクセスが必要となり、手を染めたのです。しかしやってみるとバーチャルの世界はどんどん広がって、今まで電話やFAX,図書に頼っていたことがいとも簡単に検索できたり対応出来るようになったのです。たった一年でこれぐらい意識が変化した人間も珍しいのではないかと自分自身が思うのですから相当な変化です。と同時に人間の意識も当てにならないと思っています。
昨日旧友に会いました。旧友はまだ昨年の私と同じようにアンチパソコンで、私がブログの話をすると「ブログって何?」ですし、ブログの話題で盛り上がっても話題についてゆけず蚊帳の外って感じでした。「少しばかりパソコンをするからって大きな顔をするな」って旧友は言い残し会場を去りましたが、速いスピードで技術革新が進む時代の流れに、ついてゆけない私たちの年代を垣間見るようで少し同情もしました。でも同情されても何の解決にもなりません。要は必要の論理ですから必要のないものまで手に入れる必要はありません。猫も杓子もみんな携帯電話を持ち遊ぶ現代の高齢者を見ると滑稽にも思えてくる現実が、日本の田舎にもあるようです。
ブログの空白日は私にとって日記を書けなかった少年時代の思い出と同じです。今も何冊か持っていますが、白いまま残るページは一体どんなメッセージを私に伝えているのでしょう。
「真っ白な ページのような 空白日 ブログ書きつつ 振り返りつつ」
「ブログ何 友の一言 胸を刺す 去年の私 同じ質問」
「時を経て 画像に映る ブログ読み あんなこんなと 思い出新た」
「パソコンに 横文字入り 大慌て 読んでも分らず ゴミ箱処理す」