○忘れていた誕生日と覚えてもらっていた誕生日
私は昭和19年10月3日に生まれました。したがって昨日は私の62回目の誕生日です。でもさすがこの歳になると自分の誕生日など忘れてしまってるのですが、先週の日曜日長男夫婦が花篭とプレゼントを持ってお祝いに駆けつけてくれました。その時は感激し覚えていたのですが、このところの忙しさで2日後の昨日も愛媛大学フィールドワークの授業のことで頭がいっぱいでついつい忘れていました。ところが昨日フィールドワークで学生の対応をしていた9時半ころ、子どもを抱いた若い女性が何やら大きな花束を持って私の目の前に現れたではありませんか。とっさに「えっ、西岡真由美さん」と昨年、一昨年ともう4、5年も続いている彼女からの誕生日の花束プレゼントを思い出しました。「今日は緒方さんが来れなくて」と詫びながら立派な花束を私に渡してくれる誕生日セレモニーは、数年前偶然にもシーサイド公園でハプニング的に起こったのでした。緒方二三子さんと西岡真由美さんという二人の女性と私が何処でどうつながったのかは未だに不明なのですが、南予、しかも三崎半島の出身者であることだけは知っているし、西岡さんは嫁いで松山市に、緒方さんは合併した伊方町瀬戸にそれぞれ住んでいて、私の生き方に想いを寄せていただいていることだけは知っています。でも自分さえも忘れる誕生日をよくもまあと、妻ともどもしみじみ感心しました。でもこれは涙が出るほどの嬉しさで、居合わせた愛媛大学の学生からも「凄いねえ」と感嘆しきりでした。
この方が花束を贈ってくれた西岡真由美さんと可愛いい子どもさんです。
居合わせた学生さんと一緒に撮影です。学生のピースが気になります。
いただいた花束を抱えたツーショットならぬ嬉しいスリーショットです。
「誕生日 冥土の旅の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」をある意味で感じる誕生日なのですが、私の誕生日を覚えていてくれた人が5人もいます。一人目は元県議会議員の俊成薫さんです。県議会議長も務めた偉い人ですが、もう二十年にわたって私の誕生日には素敵なハガキの祝詞を届けていただいています。二人目は妻です。私は忘れていますが、「もうそろそろお父さんの誕生日じゃねえ」と、「あなたのお父さんではない」と言いたい様な言葉で予告をしてくれます。三人目は子どもたちです。それぞれの懐具合を見計らってプレゼントをしてくれます。学生の次男などの誕生日プレゼントは少し長めのマッサージ、まさに現物支給なのです。四番目は妻の同級生が電話をかけてくれました。そして今年山猿こと馬路村の木下君から漫画チックな祝詞が届きました。多分私のブログを見ての反応でしょうが嬉しいですね。その他ブログでのお祝いメッセージが数通ありましたから、昨日の大学生の祝福拍手を含めると相当数の祝福になりました。
私は年齢的に61歳という還暦を迎え緩やかな曲線ながら老化へと進みつつあります。気力も体力も、ひょっとしたら知力までもこれからは緩やかな曲線を描いて限りなく死というゼロへ向かうに違いありません。しかし体力は別として、いや体力も気力も知力も努力によって動力になり現状を維持し続けるかもしれないのです。その念力こそが若さを保つ秘訣なのでしょう。
力のつく言葉を並べてみましたが、力持ちとはそういう人のことであり、山猿木下藤吉郎の祝詞を見て思い直しました。私に誕生日の祝意をいただいた皆さんに約束します。もう少し進化し続けることを・・・・・・。
「ああ俺も ここまで来たか 誕生日 夢よも一度 若さ下さい」
「今年また 花束届き 嬉しさに 少し涙の 六十二歳」
「金がない 学生息子 マッサージ これも一つの プレゼントです」
「えっそんな 歳では?若く 見えますよ お世辞空々 それでも嬉し」
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誕生日ってなんだろう???
わたしの母は、もう今はこの世に居ませんが、
誕生日を祝って喜ぶのかな?
もう居なくなって25年経つけど毎年考えます。
(へんてこりんなコメントでごめんなさいです。)