○何もそこまで
人間とは得てして勝手な動物です。寒い冬は暖を求め、暑い夏は涼を求めてその快感を得ようとします。また夏に冬のものを食べ冬に夏のものを食べる季節早取りなどは日常茶飯事のこととなってきました。しかし世の中には「何もそこまで」と思えるような度が過ぎたことがいっぱいあるのです。
冷房は今や常識、動く車の殆どは窓を閉めて冷房し、家だって冷房のない家は「えっ、冷房がない?」なんて不思議がられるのです。しかし不思議な事に私の家では冷房もなく(本当は応接間に一台あるのですが、使い方が分らないほど使わない)陸風と海風の吹く場所にあって日本家屋特有の天然の心地よい風が家中を吹き抜け快適なのです。一昨日娘の勤務の関係で孫を幼稚園に迎えに行きマンションへ連れて帰って子守をしていました。私はどうもないのに孫はやたらと汗をかくのです。「おじいいちゃん暑い」という孫の声に気がつくと冷房を入れるのを忘れていました。慣れないことなので戸惑っていると3歳の孫が「おじいいちゃん冷房はこれ」とリモコンを持ってきました。孫の暮しは冷房が当たり前になっているので、自然は不自然と逆転し冷房が自然で自然の風は不自然になっているのです。私は娘のマンションへ行って部屋の中で過ごすとついつい息苦しくなります。窓を全て締め切り、笑うことも音を立てることも全て上下左右の顔も知らない住人を意識して暮らしてゆかなければなりません。ましてや隙間のない部屋はまるで空気さえも止まっているのです。「こんな空気を吸っていたら今に病気になる」と思うので、娘のいないことをいいことに窓を開けて外気を取り込むのですが、外から入る空気は「美味しい」と思ったりさえすることがあるのです。
水を容器に入れて一週間ほおって置くと水は完全に腐ります。マンションの部屋の空気もひょっとしたら腐っているのではと思うこともしばしばです。こんな空気を吸うから体調を崩し心の病にかかるのだと思うのです。
最近の会議は強い冷房で寒くて風邪をひくのではと思うほどです。背広を上に羽織らないと長時間の会議は持ちません。何もそこまで冷房しなくてもと思うのですが、集中冷房ではコントロールが出来ないそうです。昨日視察に訪れた広島の団体の方もバスの前の席は冷房を上げてといい、後ろの席はもっと冷房しろとまちまちで、冷房も百人百様の感じ方があると感じました。
ハモの美味しい季節がやって来ました。湯引きした純白のハモに梅味のタレをかけて食べる食感は夏だ、旬だと思わず叫んでしまいたいような気がします。でも真夏だというのに早くも新米、早くもみかん、早くもふぐ、早くも梨だと騒いでいます。一番賢い消費者は食べ物の旬を知ってて、その季節に旬を食べる人です。その季節は秋刀魚が安いように美味いものを一番安値で食べられ体にいいのですから、これくらいいいことはありません。セレブだと自認している人は別でしょうが、私たち庶民は少し利口な人間になって自然的で健康な暮しに心がけたいものです。
「お父さん あなたはスイカで 生きている 夏だからこそ 旬が一番」
「まだ買わぬ まだまだ食わぬ 俺の意地 今旬早速 風流楽しむ」
「とうきびを 焼いてパチパチ 七輪の はねる音にぞ うちわ似合って」
「ビール止め 代わりにお茶で 乾杯す 喉はあの味 既に忘れて」