○ゼロへの回帰
有難い事に最近は人間牧場がすっかり話題になって、人間牧場を説明する機会が増えてきました。「人間牧場って何」から説明するとまるでオームのように同じ事を何回も説明しなければならないので、いっその事テープにでも吹き込んだらとも思うのですが、それも出来ず少し消化不良気味です。しかし、これは人間牧場にとって「何故」「どうして」という極めて大切なことだと思い色々考えてみました。
私たちは平和な日々の暮しの中でややもすると「何が出来るか」「何をしたいのか」という人間の本来持たなければならない意思なるものを、案外忘れて暮らしているように思うのです。私が足しげく人間牧場という非日常な場所へ通うのはその二つを探したり確認したりするためではないかと思える節があります。そう思うと人間牧場は私の心をたえずゼロに戻してゆく人間性回復、いわばゼロへの回帰場なのです。
①何が出来るか
私という人間の持っている能力や技術に人並み以上のものは殆どありません。いわば並みの人間です。でも並み以下でもなく普通なのです。この並みで普通な人間が「何をしたいか」という夢を描き、その夢の実現のために人並みな努力をしてきました。結果的には多くの人の協力や時代の流れという追い風を受けてそれなりの成果を収めてきたのです。しかしそれは「何をしてきたか」であって、今や近未来に「何が出来るか」とは少し意味合いが違うような気がするのです。殆どの人は過去を餌に生きています。過去の成功や成果は確かにその人の大きな評価であるのですが、過去を餌にした「何をしてきたか」だけに執着すると、「これから何が出来るか」が軽んじられる傾向になるのです。私たちは今何が出来るかや未来のために何が出来るか常に考え行動できることが大切なような気がします。そのような思考を巡らすとこんな凡人の私でも何か新しいパワーが甦って若々しくなるような気がします。
②何をしたいか
人生80年といいながら還暦を向かえセミリタイヤした私と同じような人間には、夢など早々見つからないし、例え夢が見つかっても「私には出来ない」と諦めるのが落ちなのです。何をしたいかには人間の飽くなき欲望が必ず付きまといます。しかし欲望と夢は違うのです。人間牧場を例にすると、別荘的なセカンドハウスであれば、お金持ちであって金さえあれば金に飽かして誰でも手に入れることができます。しかし人間牧場のような施設は思っても中々手に入りません。それは人間牧場が別荘と違う何かを求めているからです。人間牧場の周りには沢山の人が協力し、沢山の人が運営や知恵を授けてくれます。つまり人間牧場はまちづくりなのです。
私は人間牧場へ足繁く通うようになって何が出来るか、あるいは何をしたいか、今まで見えなかったものが随分見えてきました。それはゼロへの回帰と呼ぶに相応しい出来事なのです。これからもこのゼロ回帰の空間で様々な何が出来るかと何をしたいかを発見したいし、訪ねてくる人にゼロ回帰を学んで欲しいと願っています。
「ゼロという スタートに立って 考える 今まで気付かぬ 何かに気付いて」
「何が出来 何をしたいか 考える 簡単だけれど 中々難し」
「凡人が 非凡になるは 我を捨てる 随分迷って まだまだ入り口」
「結局は 60かかって 元戻り 回り道した 俺の人生」