○沈下橋の向こうに・長生地区(20-6)
玖木の橋めぐりを終えて夕闇迫る船宿舟母の下に架かる沈下橋を渡ろうとした時、異様な光景を目の当たりにしました。
対岸の橋が川面に発生した霧に包まれ、何とも幻想的なシルエットを醸しているのです。絵になる心に残る光景でした。写真には残念ながらその全てを表現できませんでしたが、この光景は四万十川のもう一つの美かもしれないと改めてその魅力を再発見しました。
せっかく玖木の橋めぐりがあって早朝より西土佐へ入るのだからと中脇さんに無理をいって夜の集会をセットしてもらいました。その地区へ入る前、中脇三のご好意で四万十川の名物であるうなぎをご馳走になりました。そういえばこの日は土用丑の日で昨日から今日にかけて日本列島がうなぎの蒲焼の匂いで埋め尽くされる日だったのです。細やかな女性の気配りに感謝しながら天然うなぎの食感を味わうことが出来ましたし、肝吸いもついて何ともはや贅沢な夕食でした。食後は寸暇を惜しんで藤倉さんと3人で四万十川本流の沈下橋を三つも見せてもらいました。
朝早くから堪能するほど橋を見てきたものですから、どの橋が何処に架かっていたのか写真をブログにダウンロードしながら迷ってしまいました。車の中でその橋の説明を中脇さんから受け、橋のたもとに着く度に下車してとりあえず写真に収めてみましたが、未だに橋の名前と写真が一致しないのです。
沈下橋の向こうに20戸に満たないという中脇さんのふるさと長生地区はありました。沈下橋を渡ると青草の匂いがプーンとしてきました。何でも今日は道普請の日とかで、道端の草はきれいに刈られ、私の来るのを掃除をして待っていてくれたような温かさを覚えました。数日前公民館に間抜けな泥棒がガラスを割って入ったとかで、大した被害も無くその話題が開会までの楽しい会話になりました。小さな地区だけあって時間どおり、しかも沢山の人がやって来て会は始まりました。中には私の話を何年か前に和田課長さんと双海町を訪れて聞いたとう人や、中脇さんのご主人、宇和島水産高校出身の息子がいる人などなど、熱心に耳を傾けていただきました。
私たちはそこに暮らしていると、いつの間にか固定概念が出来上がってものの見方がついつい単調になりがちです。変えなくていいことを変え、変えた方がいいことを変えないでいます。また自分では四万十川のことを一番知っていると想っていることもあるだろうと思います。しかし本当はそれが妄想であることに気がつかなければならないのです。私がアメリカで世界地図の真ん中に日本が無いことを発見したり、南北逆さまの世界地図を見て気がついたり、また他町村から来た人に夕日の美しさを指摘されるまで気がつかなかった事例を元にお話をしました。発想の転換を話したつもりですが果たして人の心の扉を開いたかどうか・・・・。早いもので明日で三分の一が終わります。微調整を繰り返しながら、できるだけ分り易くこれからもいい話をするよう心がけて行きたいものです。明日は橘地区、役場を辞めた旧友の横山さんは果して来るでしょうか。
「現代の 泥棒さんも 焼き回り 入った所が 公民館とは」
「入口の 草を綺麗に 刈り分けて 俺を迎える 思えば嬉し」
「そういえば この人見覚え ある顔と ついぞ昔の 思い出めくる」
「あっ危ない ハラハラドキドキ 沈下橋 中脇女史は 平気スピード」
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折角のチャンスだったのに、天候の関係で行けず、済みませんでした。
沈下橋の記事を見させて頂きながら、愛媛と違い、沈下橋の保存に積極的な高知県はやはりイイと感じました。
私がこのタイプの橋に魅かれるのは、自然との折り合いの付け方が、現代にあってとても示唆的と感じるから。人と自然との共生が、剛ではなく柔であるから。