○寅さんの夢
平成6年の夏にフーテンの寅さんが死んでから早くも12回目の夏を迎えました。国民的英雄になった寅さんに「やあー」と声を掛けてもらっただけの私ですが、私が撮った一枚の写真と第19作の映画ビデオは今も大切に手元にしまっています。寅さんの映画の楽しみは色々ありますが、欠かせないのは最初に見る「寅次郎の夢」でしょう。双海町下灘駅が舞台になったのはそんな夢から現実へ引き戻される場面だったのです。
《勤皇の志士が相次いで集う京洛の地に忽然と現れた熱血の士鞍馬天狗。その天狗のもとに駆け寄る杉作。連れて来てくれた女性に礼を言って立ち去ろうとした時、「もしやあなたは江戸は葛飾柴又の生まれでは?」と尋ねられ、頭巾を脱いだ顔を見ると妹のさくらだった。しかしその時すでに敵の罠が迫っていた。》
「お客さんのぼりの列車が来ますよ」とエキストラに扮した駅長がプラットホームのベンチで寝そべって夢を見ている寅さんを起こし、夢から覚めた寅さんは瀬戸内海に向かって大きなあくびをしてテーマ音楽が始まる筋書きは、ビデオを何回見ても思わず噴出してしまうシーンなのです。
私は当時町の広報マンをしていました。寅さんのロケが下灘駅であることを知って現場に駆けつけると、山田洋次監督はカメラの後ろで細かい指示を出していました。私は山田監督に許しを得てその風景をカメラで連写しました。その一枚は様々な場面でよく使われました。特に下灘郵便局が夕焼けプラットホームコンサートの度に作ったたとうには何度も登場したのです。記憶ではその日は昭和52年8月1日の出来事でした。
その後夕焼けプラットホームコンサートを始めて開催したのは昭和61年6月30日ですから10年後にこの駅に再び脚光を浴びさせたのです。あれから20年余りの歳月が流れました。寅さんの夢が私の夢になり、その夢が現実となって夕日を世に出したのです。日本一海に近い駅と言われた下灘駅もその後海側にバイパスが通って、今は日本一海に近い駅という名前を返上していますが、時の流れの早さに驚く今日この頃です。
寅さんの寝像を造りたいという夢もそろそろ実現しなければならないと思いつつ、未だ一歩を踏み出せないもどかしさを感じつつ、今年もまた暑い夏がやって来ました。先日関西汽船の浜田さんがサライという雑誌を届けてくれました。「寅さんを旅する」という特集号なのですが、寅さんは何時になっても歳をとることもなく、カバンを提げて旅を続けているような錯覚を覚える今日この頃です。
「田舎駅 ひょいと寅さん 降りそうな そんな気がする ホームに立ちて」
「寅さんの 寝像造ると 意気込んで 松竹掛け合う 昔懐かし」
「やあとだけ 言葉を交わした あの時の 寅さん今も 脳裏に焼きつき」
「どの辺り 旅を続けて いるのやら 寅さん旅先 ひょいと会うかも」