○面白い「種」という地名
宇品まで迎えに来てもらった渡邊修館長さんの車に乗って雨で混雑する広島市内をやっとの思いで脱出し、広島高速・中国自動車道を経由して戸河内から国道191号を走り、中国山脈を越えて益田市へ入りました。島根県で最も西に位置する益田へはこれが一番最短コースらしく毎度の事ながら見慣れた光景をひた走りに走り、約3時間で益田に到着です。かつてきら星セブンとかいう珍しい学社融合シンポジウムで訪ねたことのある三好屋さんにチェックインし、ひとまずひと風呂浴びて軽い休憩をとりました。4階桐の間の窓から見える益田市の風景は石州瓦の茶色を基調にした、落ち着いた佇まいを見せていました。あの有名な日本画家雪舟ゆかりの土地を髣髴する歴史ある街は梅雨に煙ってまるで一服の水墨画を見ているようです。折から降り出した豪雨と呼ぶに相応しい雨は低地にあふれ出て一部冠水するほどの激しさでしたが、明くる日聞くと大雨警報が発令され100ミリを越す大雨だったとか。
そんな雨の中私のために種地区の主だった人が集まり、田吾作というこれまた田舎を売りにする海鮮料理の店で小宴が催されました。酒の飲めない私にとっては、種の呑み助の勢いは何とも頼もしく多いに盛り上がりました。次々と店の生簀からすくい揚げたイカ・タコ・サザエ・イサキの刺身は新鮮そのもので、魚処日本海を存分に堪能させてもらいました。
先日人間牧場にやって来た大畑コーディネーターも同席しての話は尽きることなく、2時間を3時間に延長して飲むわ食うわ喋るわの賑やかさです。質問のその都度に箸を安めて話をするのですが、結局は酒の勢いを借りて、出来るだけ早い機会に人間牧場や煙会所へ視察旅行をするとう約束まで結んでしまいました。どちらかというと山陰の気候風土は山陽に比べ気質が暗く感じるものなのですが、種の熟年・実年組は実に元気で日ごろの活動の様子を垣間見ることが出来ました。
今回の講演会の約束は数年前に遡ります。六日市町で開かれた研修会に参加した女性から一通のお礼のハガキが舞い込んだのです。多分私もそのハガキに返事のハガキを出したのですが、「いつか私たちの種地区にも来てください」という文面だったと記憶しています。
明くる日は昨日の雨がまったく嘘のように晴れ渡り、「カバンに見覚えがあります」という三好家美人女将さんの手厚い見送りを受け、公民館主事さんの迎えの車に乗って種地区へ入りました。雨上がりの草木や花々は夏の光を浴びて輝き山間の村々はこれまた絵になる光景でした。
会場となる種公民館の玄関では見覚えのある広畑信恵さんという女性が笑顔で出迎えてくれました。この方がハガキの女性なのです。少々おすまし顔のツーショットを控え室で撮らせてもらいました。
館長さんと広畑さんが自宅や仲間の畑から早朝貰ってきたというタダの花も、広畑さんの手によって壇上にきれいに活けられ、手作りの看板や垂れ幕がもてなしてくれました。
9時きっかりに始まった講演会は大爆笑のうちに延々2時間半にも及ぶ大熱演でした。最後の締めはやはりハーモニカで夕焼け小焼けや赤トンボ、それにああ上野駅、南国土佐を後にしての4曲でしたが、感極まったのか数人の女性が目頭を抑え、特にある女性は真赤に潤ませた目頭をハンカチで押さえていました。ハーモニカの音色でこんなに感激してもらったのは勿論初めてなので、こちらも思わず涙がちょっぴりでした。この日は広域消防の防災訓練と重なったため男性の出席が少し少なかったようですが、それでも100人近くの人が集まり大盛況で、館長さんの胸は何時になく張っていました。
会終了後控え室に昔出会った女性が訪ねてきたり、せがまれて数枚の色紙に言葉を書いたりしましたが、先を急いだため早々に送りの車の人となり、浜田道路をひた走り無事宇品港へと帰って来ました。
「下ネタと 間違いそうな 下種を 笑い飛ばして 村に入りぬ」
「ゴザ広げ まるで演劇 見てるよう 田舎長閑けき 初夏の一日」
「ひまわりの 花もタダとは ただただに 驚きました 笑顔の花も」
「通知表 音楽2だった 腕前も 今では5になる 努力の成果」