○自治会長視察団が行く
私は現在伊予市広報区長という、いわば自治会長をしています。区長に就任したのは役所を退職した昨年の4月でした。長年お世話に成ってきた住まいのある地元にある程度のお返しをすることはそこに生きるものにとって当然の責務だと思ったし、先輩諸氏もそうしてきたことなので任期2年の約束を果すべく懸命に慣れぬ区長の仕事をこなしてきました。しかし私が任命を受けたのはあくまでも地元の地区民から推薦で地元の仕事をするためでした。しかし区長という仕事は行政と住民を結ぶ末端の仕事もこなしてゆかなければなりませんから、民意の集約と民意実現のために苦情や要望を丹念小まめに行政に要望してきました。地元の仕事をしながら行政からの上意下達的な仕事もこなしてゆく巾の広い煩雑な仕事は予想を上回る量と広範多岐さに慣れぬこととはいえ驚いたりもしました。でも一年が過ぎると区長の仕事の矛先もこなしモードから改革モードに変化し、様々な改革を試みました。緩やかな暮しの中にどっぷり漬かっている地域住民は急激な変革を望まず、随分と跳ね返されましたが順調に改革の歩を進めています。
しかし合併という思わぬ行政の変革の波に呑み込まれ、広報委員と広報区長という役割が委嘱という形で一方的に制度化されてウムを言わせず了解させられてしまったのです。特にこれまでは行政がやっていたことを行政のスリム化と、旧伊予市にあわせる画一化いう美名のもとに押し付けられ、広報の配布などの様々な業務が抵抗や意見具申に耳を貸すことも説明責任も果さぬままうやむやに押し漬かられてきました。行政に身を置いていただけにやり切れぬ気持ちは今も心の中にくすぶり続けているのです。
そんな矢先広報区長の研修旅行が計画され昨日までの一泊二日の日程で福岡県宗像市への視察となりました。一人3万円もかける旅行は50人だと150万円もかかるものですから3千円の自己負担とはいえ大変な出費だと思いつつも、昨年不義理をしていたこともあって参加しました。
宗像市の人口は9万5千人余り、わが伊予市の倍もある大きな市です。コミュニティ行政の先進地として大きな成果を挙げていました。相互扶助と地方分権を自治行政の大きな柱として行政の役割と住民の役割を明確化し、対等な立場で協働していくいわば協働と参画のまちづくりのモデルのような街でした。その方針は行政の権限や財源の移譲という大胆な政策によって自己提案、自己決定、自己実現、自己責任というシナリオが出来ていました。コミュニティには地縁コミュニティ、知縁コミュニティ、テーマコミュニティなどがありますがこれらを網羅したコミュニティ行政は聞く限り合併後のまちづくりにとって大切な方向だと思いました。
よくある視察パターンの1時間半の訪問でしたが吉武地区のコミュニティについて、特に予算と職務への関心が高く30分も時間オーバーしてしまいました。視察は同行した二人の担当者の受け止めと区長たる私たちの受け止め方とは随分違うはずですが、いいところを吸収していい街にしたいものです。
私の目は視察もさることながら、二つのことが目に留まりました。一つはセンター入り口の分別収集のためのゴミ箱でした。このゴミ箱はかなり知恵が出されていました。ゴミの分別収集への住民の意識を垣間見るようでした。
もう一つコミセンの入り口に銅像が建っていました。
明治維新の志士「早川勇」の顕彰碑なのです。私たちは四国出身ですから特に高知へ行くとこの手の顕彰碑は坂本龍馬を筆頭に沢山目の当たりにするのですが、早川勇という人物の存在すら知らなかった私にとって大きな成果でした。詳しい碑文はこの3枚の写真でしか知るよしもありませんが、この写真を拡大解析してみたいと思っています。旅の途中に出会った早川勇との出会いは今回の旅の大きな収穫でした。
「九十分 僅かな話で 茶を濁す これでも視察と 胸を張るなり」
「視察地で 思わぬものを 発見し デジカメ写す 嬉し出会いが」
「さあ視察 終わったビール 開放感 バスは賑やか 宿へと進む」
「同じ市に 住む者なのに 名も知らず 始めましてと 名前語りぬ」