○空が広いなあ(宮地下方・20-3)
海沿いのまちから瀬戸内海側に流れる肱川沿いを走って日吉の分水嶺を越えると、川はいつの間にか太平洋に流れ、最後の清流といわれる四万十川沿いに出ます。愛媛県を流れる間は多分広見川なのでしょうが、四万十川という超知名度の高い名前にあやかろうと、平成の大合併は四万十市、四万十町などを次々と誕生させたのです。
合併に端を発した町長リコール騒動に揺れる松野町の芝教育長を訪ねしばし談笑の後、県境の看板を見ながら高知県へ入りました。今回の旧西土佐村行脚はもう3回目なのにやり過ごす看板の向こうに見える空の色は何処か違ってもう夏真っ盛りの青い空です。この20年間、この看板を何度見たことでしょう。でもこの地域に知人友人の多い私にとってはこの看板を見る度に一種独特の懐かしさを感じるのです。
今回の旅の目的は産業課中脇裕美係長さんから依頼された仕事をこなすことが第一義なのですが、私は民俗学者宮本常一ばりの四万十の暮しぶりを感じとりたいと思い、わざわざデジカメを提げて感じるままに束の間の時を過ごしています。
今日は初夏の四万十を少し散歩してみました。四万十には支流も含めると大小様々な橋が架かっています。地元の人何気なく通っているのでしょうが、訪ねる私たちにとって見れば橋そのものの形状は勿論ですが、「橋の向こうに何があるのだろう」と興味心身なのです。
一本の橋が目に付いたので、ちょっと右折迂回すると、先日訪ねた江川崎駅のすぐ隣にある西ヶ方という小さな無人駅に着きました。山間田園の中を真っ直ぐに伸びる江川崎への鉄路はまさに日本のローカル的な原風景です。
学校の下校時間だったので通りすがりの子どもたちは顔も知らない私に「さようなら」と人なつっこい声をかけてくれ、何だかほのぼのとした気分になりました。
丁度マッチ箱のような一両だけの気動車が駅構内に入ってきました。ワンマンカーの列車には運転手以外誰も乗っていない寂しさです。谷あいに響く発車合図の汽笛も何処となく寂しそうだったので、手を振って送ってやりました。
再び元の橋を渡って国道に出ましたが、「ひい、ふう、みい、よ」と数えると何と一枚の写真に4つもの橋が写る贅沢なポイントが見えました。路側帯に車を止め夕闇迫る四万十の悠久の流れを楽しみました。夕闇迫る四万十の流れは幻想的でそれでいて神秘的な感じがしました。
写真に撮った杉横の木々の枝には沢山のゴミが引っかかっていました。聞くところによると昨年の台風ではそこまで水につかったのだそうです。現在の川面からは優に0メートル以上あるので信じられない感じですが、先日大雨の四万十を見ているのでうなずけるのです。
再び国道を走り江川崎を左に曲がると川の流れは一変し瀬音が聞こえる急流になっていました。川に港はないのですが港のような船溜りがあって、一人の漁師が漁をしていました。そこら辺にある漁具から察するにうなぎの地獄漁を仕掛けているのではないかと思われました。最近の川舟はFRPが多く地獄もプラスチック製で時代の変化を読み取ることができます。櫓や竿から推進器も船外機に様変わり腹の底響く鈍いエンジンの音が山間に響いていました。
さて肝心の集会ですが、非近代的という言葉がぴったりするような長閑な会場でした。体育館と講堂と集会所を一緒にしたような会場で窓を全て開け、扇風機が回り蚊取り線香がたかれ、椅子は高齢者用の座椅子が持ち込まれていました。私の足へは容赦なく藪蚊が攻撃を加え90分の講演時間中左と右の足を交互に上げ下げしながら藪蚊を追い払いました。でも今日の収穫は大きな見たこともないような藪蚊を5匹殺生したことです。多分藪蚊は久しぶりのご馳走に舌鼓を打ったのでしょうがそうは問屋が卸しませんでした。田舎といってもここは中心地です2地区合わせると対象者は相当数になるのでしょうが、参加人数は今一でした。でも集まった方々は相当意識の高い方たちとお見受けしました。特におんちゃん(何年か前商工会の視察研修でわが双海町へ来られて私の話をしっかり覚えていました)は私の話を感慨深げに聞きながら、「ここは四万十流域でも一番空が広い場所が自慢じゃあ」と話してくれました。私は「それがどしたん」と水をかけました。その日の話は地域資源をオンリーワンにした体験を噛み砕いて話しました。みんな感心して聞いてくれました。
「窓開け 扇風機回して 線香たく 座椅子に座り まるで昔に」
「扇風機 ブンブンブンと 音がする 薮蚊負けじと ブンブンブンと」
「戸数だけ 多くて人は 集まらぬ 玖木を見習え 全員参加ぞ」
「
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西土佐へ来ていただいた次の朝はブログを開き、250km無事のご帰還に安堵する小生です。
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また来ま~す♪
ぜひ見にきてくださいな