shin-1さんの日記

○梅の収穫は痛い痛い

 昨年のスケジュール表を見てみると、5月27日と28日の両日、人間牧場の梅採りをしたことが記録されています。梅雨に入ると「ああもうそんな時期か」と思いつつ、忙しいスケジュールの合間と、雨の合間を見計って「梅の収穫日」を設定するのです。今年は芋つるの伸びが思わしくないほど少し季節が遅れ気味に推移しているようなので、一週間遅れの今日を吉日とばかりに梅採りの日に設定しました。

 昨日の雨も上がって天気はまずまずなのですが、無風状態の曇りのため雨の雫が梅の木にやたらとついていて、雨具でもつけなければ、まるで雨降りの中で作業するのと同じようにずぶ濡れになるのです。それでも今日を逃せば時機を逸してしまうので、思い切って決行しました。

 朝8時に家を出て人間牧場につくと直ぐに地下足袋を履き梅採り作業にかかりました。ところが作業を始めると、採り篭も採り袋も持ってくるのを忘れてしまい、さてどうするか思案しました。倉庫に入りそこには空いた肥料袋が置かれていて、それを裏返しにして折込み、穴を2ヶ所開けてビニールの紐を通して、にわか即席の採り袋が出来上がりました。この袋が実は軽くて意外と長持ちし重宝でした。

 今年は昨年200キロも収穫した豊作と違い、わが梅林は裏年です。11本ある梅の木の中には殆ど実をつけていない休眠状態の木もあって、果して自家用に使うほどあるかどうか心配しましたが、終わってみればキャリーに4個、つまり80キロ近くの収穫です。今年も例年通り綺麗な梅が採れました。

 しかしです。体力を使う梅の収穫は予想以上に難儀で、特に梅ノ木のいたるところに刺が出ていて、あちらチクリこちらチクリと体中に突き刺さるのです。我が家の梅林は残念ながら肥培管理が行き届かず、剪定作業もろくにしていないので、木に登るのも一苦労です。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われるように、切らない梅はそのうち樹勢が衰えてくるだろうと予測をし、今年から収穫の難しい高い枝は切り詰めながら収穫しました。それでも今日は体中傷だらけで、梅採り作業を終えて家に帰り風呂に入って汗を流すと、あちこちがヒリヒリして痛いことこの上ないのです。妻に薬を塗ってもらいましたが、驚いた様子でした。

 さてこの梅の処理は明日しなければなりません。妻がこのところ風邪気味なので、「お父さん今年は梅の処理はお願いね」と軽く逃げられたため、私がしなければならなくなりそうです。梅酒の瓶も足らないようなので買い求めなければなりません。砂糖も塩も買わなければならないし、臨時的出費がかさみそうですが昨年同様梅酒ならぬ梅ジュースをしっかり漬け込んで、人間牧場用の飲み物を作っておきたいと思っています。

 農家の喜びが分るような気がするといえば少し大げさですが、梅の実を収穫し収穫の喜びが沸いてきました。丹精込めたほどの世話はしていませんが、夏の草刈りなど私にしてみれば十分な世話をしての収穫ですから喜びも一入です。明日は生協の理事会に出席したついでに瓶や砂糖、塩などを買い求め、夜なべにでも処理をする覚悟です。

  「風邪引いた ことを理由に 梅の処理 俺に任せて 妻は見物」

  「塩加減 砂糖加減が 決め手だと 妻の指導で 梅を処理す」

  「収穫は どこか嬉しい 農業を 実感しつつ 作業勢出す」

  「昨年の 四割程度 ありました これで十分 一年乗り切る」 


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shin-1さんの日記

○あじさいキャラバン

 昨日は愛媛県と広島県の境に位置する上島町弓削島で、内閣府主催による「あじさいキャラバン」という、一風変わった行事があり、私も「地域再生伝道師」という変な肩書きで出席を依頼され出かけて行きました。5月末日をもってこの航路のフェリーが廃止され不便なこともあって、午前10時30分今治港発の高速船に乗らなければ間に合わないため、家を出たのは7時30分でした。あいにく梅雨の雨がシトシト降る中、双海~松山~北条~今治を結ぶ海岸国道を走りました。海人を自認すある私としてはやはり海が恋しいのでしょう。

 港の船着場にはこの会に出席するであろう県庁や市役所の人も何人かいて、顔見知りの人たちと談笑しながら船に乗り込みました。弓削島までは丁度1時間、読書をするには最適な時間でしたが、昨晩遅くまで原稿を書いていて多少寝不足だったためか、はたまた船の揺れが快適だったのかついウトウトし、途中寄港の岩城島でふと目が覚め、間違って降りようとするハプニングにまで見舞われました。

 今年に入って「希望の島へ」というフォーラムと、弓削商船高等専門学校へ講演に訪れるなど、3度目の来島ということもあって、すっかり馴染みの顔が多くなり、島移住の兼頭君一家や元役場職員村上律子さんご夫妻など、多くの仲間がいて楽しみの多い来島です。前もって電話連絡していたため、昼食時間だったため、前回もご馳走になった島名物のお好み焼き屋さんに連れて行ってもらいました。

 さて、「上の写真は一体誰でしょう」?、とまるでクイズのようですが、訪れたお好み焼き屋さんで、写真を撮りましたが、カメラのセットが発光禁止になっていたのに気付かずに撮ったものです。お店の前の路地だけが写って3人の顔がまるでシルエットなのです。この回答写真はこの文章の末尾にて公開しますので今しばらく待ってください。

 「地域活性化応援隊in愛媛」という会議は予定通り13時30分から始まりました。内閣府事務局と愛媛県の人が分厚い立派な資料を基に事業の経緯や進め方について説明がありましたが、一般参加者には少し難しく感じるような説明だったようです。


 続いて伝道師であるふるさと回帰総合政策研究所代表取締役の玉田樹さんと私が一人50分の持ち時間でショートな話しをしました。玉田さんはスライド+言葉で、私はスライドなし言葉でそれぞれお話をさせてもらいました。会場には馴染みの顔も沢山いるので私はアドリブな話です。だって、2時間も話しを聞かされた後の、しかも終りの時間が気になる時間帯ですから、どんな立派な話をしても眠り薬になるのですから・・・・・・。

 会議が終わると別室で商談会ならぬ相談会です。それぞれのテーマに合わせてブースが三つ用意され、私は地域活性化ブースに行くよう指示がありました。そこで岩城島でブルーレモンファームという農業会社を営む古川泰弘さんと出会いました。古川さんとは希望の島フォーラム以来二度目の出会いですが、短い時間ながらこれまでの経過やこれからの夢など色々な話しをしました。古川さんは凄いパワーの持ち主で縁もゆかりもない岩城島に移り住み、様々な逆境を乗り越えて逞しく生きています。どこか引かれる魅力ある若者でした。兼頭さんといいいい若者が希望を持って生きていることは素晴らしいことで、まさに希望の島のようでした。

 私は子どもに好かれるタイプなのか、恐る恐る抱っこした、生後1歳3ヶ月という兼頭君の一人息子玄(はじめ)君とすっかり仲良しになり、分かれるのが辛くなるほど仲良しになりました。久しぶりに会った奥さんも息子さんもすっかり島の暮しに溶け込んでいるようで、一安心です。

 そうそう冒頭の写真の正解は次の写真で、兼頭君のご家族写真でした。

             

  「俺の顔 安心するのか 抱っこして 笑顔嬉しや そこらを散歩」

  「島人は どこか優しい 人ばかり 住みたい気持ち 分るようです」

  「人前で 話するのは 難しい 奥の深さを 感じて壇上」

  「出番来た お疲れモードの 会場で さてさて私 眠らさないよう」
       
 

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