shin-1さんの日記

○のんびり温泉気分

 昨日は6月の第一日曜日なので、私の住んでいる灘町地区の一斉清掃がありました。自分の家の周辺の組内の人が一戸に一人出て周辺の側溝などを掃除するのです。年に一度なので周辺の側溝にはゴミや土砂が溜っており、側溝の蓋を外して中の汚物を取り出すのです。近所は他の地区に比べ比較的若い人が多いので、年配の私などは昔のように進んで重労働をしなくても、少し邪魔者扱いのような感じで手伝いました。田舎なので周辺にはまだ田んぼがあちらこちらにあって、側溝も農業用と生活用が共用しているよな物もあるのです。最近は近所づきあいも両隣以外は殆どなく、このような時でないと顔を合わせたり声をかけることもないので、積もる話に花が咲きました。

 一昨年までは区長をしていた関係で灘町区全体の面倒を見なければならず、消毒液の手配や車の借り上げ、ゴミや土砂の運搬など多くの仕事をしていましたが、その仕事もなくなって元に戻ったため、こうして地元の付き合いが出来るのも有り難いことなのです。下水側溝に消毒液を撒いたりしましたが、早朝午前7時からの作業だったため、8時30分にはすべての作業が終り解散しました。

 前日妹の娘が結婚披露宴を挙げたこともあって、姉夫婦、妹夫婦、そして和歌山の弟夫婦で温泉に行く計画を妹が立てていましたが、和歌山の弟夫婦は所用で帰ったため、6人で伊方の亀ヶ池温泉へ骨休めに行く事になりました。夕方会議出席が予定されているため、それまでは日頃疎遠な兄弟でのんびり日帰り温泉小旅行です。昨日は梅雨に入っているのにまずまずの天気で暑いくらいでしたが、それでも佐田岬半島の潮風メロディーラインに吹く風は心地よく、途中の特産品即売所などに車を止めて買い物をしながらのんびり旅です。

 私たちの町から伊方町亀ヶ池までは長いトンネルが貫通したお陰で僅か1時間です。もう10時には到着していました。受付で見慣れた懐かしい顔にお会いしました。一人は元瀬戸町長の井上善一さんご夫婦です。もう一人は元伊方町長の中元清吉さんです。いずれもライオンズクラブの記念行事で韓国の方を招いてのイベントとかで、お客さんを案内しておられました。それぞれ在任中はお世話になった方々なので懐かしくお話をさせてもらいました。井上さんも中元さんも、勿論私も既に過去の人なのですが、かつてはお互いにまちづくりに熱い思いを持っていただけに、こうして元気な姿を見ると嬉しくなるのです。

 温泉は最近出来たため新しくて清潔で温泉の質も上々で、女性たちは岩盤浴を楽しんでいるようでしたが、私はサウナや塩サウナを楽しみのんびりとリラックスすることができました。温泉の後は食事会で、酒は飲めないものの美味しい海の幸を満喫し、思い出話に花を咲かせました。姉夫婦は老域、妹夫婦は商売とそれぞれの伴侶とともに人生を楽しんでいるようです。私たちも前期高齢者の仲間入りを目前に控えお手本と鳴なべき姉夫婦を見習って穏やかな老後の暮しを楽しみたいと思いました。

 リタイアしたといいながら毎日「何でこんなに忙しいのだろう」と妻も自分も思うほど、むしろ現役時代と違った忙しさの中で暮らしていると、目の前の自然や社会に疎くなっている事に気がつくのです。これからは少しずつ荷物を軽くして心豊かに生きて行きたいものです。それにしても昨日はのんびりゆっくりリラックスしていい一日でした。

  「温泉に 浸りのんびり 久しぶり 我に帰りて 五月を思う」

  「兄弟が 一緒温泉 行くなんて 積もる話に 花を咲かせて」

  「偶然に 出会う馴染みと 立ち話 それぞれ生きて それぞれ語る」

  「どうかしら 親父に土産 買う算段 妻の相談 嬉しいもんだ」

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ペットは最早家族の一員です

 先日隣町の友人宅へお邪魔しました。その家に入るなり驚きました。見たこともないような大きな犬がいきなり玄関へお出迎えに出たのです。私がとっさに身構えると相手の犬も本能的に身構えて睨みつけられ、一声「ワン」と吠えられてしまいました。相次いで出てきた友人が「これっ」と叱って中に入り、私がご主人様の友人であることを告げられ事なきを得ました。

 聞けばこの友人宅では犬を家の中で囲い飼いしているそうなのです。この友人は私と相次いで結婚したため、もう四十年近くも経っているというのに子宝に恵まれず、夫婦揃って色々な治療を受けましたがついに子どもを産むことは出来なかったのです。察するに子どものいない寂しさを紛らわそうというのでしょうか、犬を飼い始めてもう二十数年だそうで、今の犬は二代目なのです。最初は毛の長いスピッツ系を飼っていましたが、その犬が死んだため、悲しさの余り「もう動物は絶対飼わない」と泣きながら話していたことを覚えています。でもその心だ犬の思い出を忘れることができなかったのでしょうが、今度はいかにも頑丈そうなブルドック系の犬なのです。その顔を見ているとまるでしわくちゃで思わず噴出しそうになってしまうのです。

 この夫婦は前回のスピッツ系の時はやれ犬の美容院へ連れて行くとか、病気になったら動物病院へ連れて行くとか、死んだ時もペット霊園に敷地を買って手厚く葬るなど、とても動物とは思えない人間並みの特別待遇で、私を感心させたものでした。

 今回のペットは前のスピッツ系とは似て非なるブルドッグ系のものですが、これがまた大事にされて、一緒の布団に寝てみたり、風呂に入れてみたりと、私の目から見ると尋常ではなく異常なのです。ご飯だって人間が食べてもいいような高いドックフードを食べて「お犬様」のように大切に育てられているのです。たかが犬なのに馬鹿馬鹿しいと心で笑っている自分を、「子どもがいない寂しさを紛らわせるには仕方がないのかな」なんて同情はするのですが、やはり私には理解できない行動なのです。友人の家の玄関へ入ると、動物特有の匂いを感じます。最近はパブリーズなどという消臭剤があって匂い消しされているようですが、それでもかすかに匂うのです。

 先日この犬が風邪をひいたそうです。友人はこの犬を動物病院へ連れて行き、点滴までしたというから驚きです。二人で3日間県外の伯父さんが亡くなって葬儀に出かけた時は病院の宿泊部門に預けて出かけたらしく、まあ携帯電話の画面にもしっかりと写真でインプットされお犬様は存在感を示しているのです。

 気がつけばそんな家庭をよく見かけるようになりました。犬と人間の暮しを同質化させて暮らしている人が多くなって、小動物が本来持っている人なつっこい性格に愛情を感じながら、動物とお話しし日々暮らしているのです。人間の言葉が犬や猫に分るのだろうかとふと思うことがありますが、長年飼っていると分るらしく、よくいうことを聞いているようですし、犬の鳴き声を日本語に訳すことだって出来るのですから、この友人は二ヶ国語ならぬ動物と人間の二匹語を話しているのです。人間と同じように服を着せられ、人間と同じように病院や美容院に行く時代となりました。私は江戸時代五代将軍徳川綱吉が「生類哀れみの令」を出したことを思い出しました。その当時と時代背景は違いますが、社会が成熟すると人間の考えも変わるものだと思いました。

  「子どもなく 犬と同居の 友人は 二匹語話し 互い慰め」

  「ペットだと 言うのに破格の 扱いで 死ねば戒名 貰って霊園」

  「病院と 美容院にも 出かけます かなりの出費 それでも愛を」

  「ほら見てよ まるでわが子と 同じよに 携帯写真 自慢したがる」


 

[ この記事をシェアする ]