shin-1さんの日記

○岩手県一ノ関の風邪

 この30年余り風邪など引いたことがなかったのに、先日岩手県一ノ関に行った折、一日中冷たい雨だったせいもあって、少し寒気がしたようなきがしたのですが、そのことが尾を引いて風邪気味です。岩手県一関の人にこのブログを読まれれば、「それは一ノ関への言いがかりだ」と咎められそうですが、少し反省しながら書いています。一ノ関への旅は東北ゆえ寒かろうとズボンの下にはこのところはいたこともないパッチをはき、「一枚余分にはおって来るように」とメールが入っていたのでこれもこのところ着たこともない半コートを着て万全を期して行ったのですが、それが裏目に出たとしか言いようがないのです。

 寒い厳寒の時期にもシーサイド公園の早朝掃除には半袖まがいの薄着で臨んだことを思えば、まるで北極へでも行くような出で立ちでしたが、過保護はかえって体調を崩すのだということを身をもって体験した次第です。

 妻は「10月、11月の目まぐるしい忙しさでお疲れモードになってるのだ」といたわってくれるのですが、そうかもしれないと納得しつつ日々を暮らしています。でも風邪といっても別に熱が出て寝込むわけではなく鼻がシュンシュンし咳が少しだけなのです。最悪は先日NHKテレビに出演した時で、カメラに隠れてティッシュを離せませんでした。

 何とかこの風邪を治したいと、病院や注射の嫌いな性格から妻の薬を飲んだり薬用風呂に入ったりしてみるのですが一向に効き目がありません。少し荒治療かと思われるサウナにも入ったのですが一進一退です。ところが最近四国・愛媛県・伊予市・双海町にも寒波がやって来て私の風邪に追い討ちをかけました。「あー嘆かわしや」と思っていましたが、少しずつ快方に向かっています。

 一年中病気らしい病気もせず元気印で働いてきた退職後1年8ヶ月も、今後のことを考えれば少し健康に注意して運動や睡眠に気をつけたいと思うこのごろですが、こうした私の体を気遣って、最近サプリメントなる新しい健康補助食品が私の元に届けられるようになりました。食事も妻が私の健康を気遣って作ってくれているのでサプリメントなんてと思っていますが、これも私の思い込みかもしれません。サプリメントは何か薬を飲むような気がして仕方がないのです。薬嫌いな私としては当然でしょうが、サプリメント=薬との思い込みを直さなければなりません。

 テレビを見ていると有名人が次々と出てきて「○○に出会って私は人生観が変わりました」などというものですから益々信じられなくなっています。

 風邪をひいたこんな時、死んだ母はよく玉子酒を作ってくれました。熱くて甘い玉子酒をフーフーいいながら飲んで布団をかぶって寝ると体中から汗が吹き出して、汗で濡れた寝巻きや下着を変えて一眠りして随分良くなった思いでも遠い昔の思い出となりました。風邪をひいた妻の横に寝ていても前々風邪を引かず、「あなた少し鈍感なのでは」と妻に言われていましたが、これで「馬鹿は風邪をひかない」諺からすると、私は利口者ということになるのです。

  「風邪引かず 腹もうずかず 三十年 馬鹿な男が 風邪ひきました」

  「お土産に 貰った風邪で 難儀する 一ノ関だが 関は咳でも」

  「風邪予防 鵜飼とうがい 同じ文字 鵜飼の鵜たち うがいするのか」

  「北西の 風が運んだ 風邪の風 わが家流行 みんな病に」  

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shin-1さんの日記

○ハーモニカが大好評

 「大好評」だなんていわれるとその気になって山椒の木にまで登ってしまいそうなのですが、先日とある会場で吹いた私のハーモニカが「大好評」だったというのです。多分参加した人の何人かが「良かった」といえば、感動の法則で1人が7人に、7人が5人、5人が2人がいって終息するのです。つまり1×7×5×2=70人という計算になるのです。結局は150人も集まった集会でしたが、職場へ帰ってのその人の会話が増幅させたのではないかと思われます。「大好評」の決め手はハガキと電話とメールで届きます。主催者は電話で一報を入れた後ハガキや文章でお礼をしたため、参加者はハガキとメールで感想を表現するのです。

 嬉しいメールが沢山届きました。これもやはり時代の流れでしょうか。しかしそのことを書いたブログに感想が寄せられるのですが、末尾にサイトから「このメールは自動的に送信していますので、返信をご遠慮ください」と書かれているため、殆どの返信にはあて先もなく、返信のしようがなく、私のパソコン能力ではそこを越えることが出来ないのです。でも知恵ある人は私のホームページを探しホームページからメールアドレスへと入ってくれるのです。

 小学校時代の私は通知表が殆ど「音楽2」でした。ところがどういう訳か中学校になったら通知表が「音楽4」若しくは「音楽5」なのです。多分中学校一年生の時の担任が西岡圭造という音楽の先生で、その若い先生に憧れたのか大事にしてもらったのか分りませんが、2階級も3階級も特進を続け、高校受験の時は音楽は満点だったのですから人の能力は分らないものです。当時の高校受験は今のような英・数・国・理・社の5科目受験ではなく音楽や職業家庭、保健体育、図画工作といった様々な9科目があったのです。私たちのような田舎者は5科目が出来なくても後の4科目で点数を稼ぐことができたのです。ひょっとしたら私たち田舎者がバランスの良い人間に成長する素地を身に付けていたのかも知れないと思うのです。

 中学校になって音楽が何故よくなったのかは今でも分りませんが、小学校の頃苦手だったハーモニカは今でも苦手な楽器です。でも苦手だからと遠ざかっていただけなのかも知れないと思い、吹き始めてみると意外や意外、下手糞ながら譜面も読めないのに適当に吹けるのです。嬉しくなって吹くと少しずつ上達する「豚も褒めれば木に登る」が如く、次第に吹けるようになりました。通信販売で妻が買ってくれた2本のハーモニカを愛用して、人に聞かれると恥かしい者だから主には車の中で練習というよりは楽しむ形で吹いてきました。人間は人目に晒され失敗しないと上達しないと思うようになって、こともあろうか講演の一部に夕日とハーモニカのコラボレーションを大胆にも取り入れました。これが案外好評でその褒め言葉に乗っかって・・・・という具合です。

 体感音楽という言葉を聞いたのは、私がNHKラジオ深夜便「心の時代」という番組に出演した時でした。東京のある目の不自由な方から番組を聴いたと電話がかかってきました。「私は夕日が綺麗といわれても生まれた時から目が見えないので分りません。でもあなたのハーモニカを聞いて涙が出て止まりませんでした。死んだ母を思い出したのです。母の背中で赤トンボや夕焼け小焼けの歌を子守唄代わりに歌ってくれた歌を聞いていたのでしょうね。これは私の体感音楽だと思うのです」と。そういえば私たちは子どもの頃から今日まで多くの歌をテレビやラジオから聞きながら育ってきました。

 先日中島の金本房夫先生から「心が押し出す涙」という先生の講演録をいただきましたが、その中にも「向都離村の教育」の中で、「早く帰ってこ」「りんご村から」「別れの一本杉」「お月さん今晩は」「ああ上野駅」「僕はないちっち」「ふるさと」などの今は懐かしい望郷歌が紹介されています。確かに私たちの体には童謡や演歌といった様々な歌がまるでDNAのように組み込まれているのです。ハーモニカはそんな体にしみこんだ歌を思い出させ、その歌につながるふるさとや人々を甦らせてくれるのです。私のはーミニかが上手いのではなく、ハーモニカは記憶再生の道具なのだと思うと納得するのです。小学校からハーモニカが消えて久しいけれど、私が話す対象者の殆どはハーモニカを吹いた経験者なのです。

 これからも、磨きはかからないものの少し練習をして、人々の古きよき日本的記憶を甦らせる道具として使いたいものです。

  「ハーモニカ 聴いて思わず 泣けました メール届いて 反響びっくり」

  「下手糞な ホラより吹きたい ハーモニカ 人の記憶は 何かの道具で」

  「夕日など 目が見えないから 分らない 体感音楽 教えたあの人」

  「ハーモニカ 車の中で 吹いてたら 窓が開いてて 不思議顔され」 

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