shin-1さんの日記

○やっと桜が咲きました

 海沿いの町双海町は海水の温度の影響で霜が殆ど降りず、風は強いものの暖かい地域ですから、桜も早く咲くだろうと思って、桜前線の行方を毎年首を長くして待つのですが、伝え聞く松山地方気象台の桜開花情報より更に4日間ぐらい開花が遅れるようです。詳しいことは分りませんが、推し量るに冬の乾いた季節風が桜の蕾の表皮を硬くさせ、開花を遅めているのではないかと思われるのです。

 昨日の夕方、孫朋樹を単車に乗せて、近くの桜を見学に行きました。夕方五時を回っていたため、カメラアングルとしては光と影の濃淡が強過ぎて今一でしたが、穏やかな春の夕映えに写し出される桜はその色をより引き立たせ、趣のある桜を鑑賞することが出来ました。今朝は夜来の雨と風があって、せっかく満開近くなったのにと、桜の花をいとわなければなりません。それにしても春は一夜の風で桜が散る事を思うと、よくぞ昨日は桜を目とカメラに納めていたと、強運に胸を撫で下ろすのです。

 私たちはまず桜の名所潮風ふれあい公園へ出かけました。もう夕方だというのに弁当を広げて花見の酒盛りをしている知人もいて、輪に入って飲まないか誘われましたが、孫を連れての単車なのでおいとまをして桜を見ながら展望台まで登ってみました。中年の外人さん夫婦が登ってきました。「ハロー」というので、孫はてっきり英語を喋らなければならないと思い、「ABCDEFG・・・・・XYZ」と習いたてのアルファベットの歌を歌いました。すると外人の奥さんは「まあお上手、ベリーワンダフル」と頭を撫でてくれました。思わぬ国際交流です。

 展望台の桜はまだ八分咲きといった所でしたが、メジロが沢山いて桜の花を啄ばんでいました。堀内さんのアトリエあたりの遠景はもう桜の色で鮮やかに染まっていました。

 眼下には宮城道雄の「春の海」を髣髴するような穏やかな伊予灘が開け、沢山の島々が春霞に霞んでまるで一幅の絵を見ているような光景です。展望台からはシーサイド公園が一望できました。

 ふれあいの館の裏側に綺麗な桜が咲いていました。ここらの桜は公園整備の折私が植えた桜なので思い入れも一入です。

 その後とっておきの桜見学ポイントへ向いました。まだここも八分咲きでしたが、千人塚の池に映えてそれは見事な風景でした。私的には好きな場所でここはもう2~3日もするともっともっと美しくなるのです。

 山道を下りお寺の山門に出ました。山門には枝垂桜が咲いていて、吉野桜とはまた違った趣でした。

 県道双海~内子線を走ってみました。この沿線も私が若い頃訳も分らず植えまくって随分叱られた桜ですが、今では随分大きくなって、植えた者が勝ちって感じです。

 帰りに三島神社裏の桜を見ながらカメラに収めました。道後公園や武丈公園など桜の名所もいいですが人が多過ぎて、わたしはどちらかというと、ボンボリもつけずひっそりと人知れず咲き、見る人も殆どない人里離れた桜を鑑賞するのもこれまたおつな物なのです。




 春はあっという間に駆け抜けて行きます。出来ることならこの2~3日カメラを片手に町内の桜を写真に収めたいと思っていますが、日程が詰まっていて無理かも知れません。

  「春愛でる 心のゆとり 今もなく ただ忙しく 通り過ぎ行く」

  「この桜 俺しか愛でる 人もなく ひっそり咲いて ひっそり散るか」

  「うっとりと 眺めていたい 桜花 今が盛りと 言ってるようだ」

  「夕映えの 桜も結構 おつなもの 思わぬ色に 気付き見返える」

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shin-1さんの日記

○青年リーダー塾二日目

 今朝は予告していた通り、私は妻の作ってくれた握り飯と味噌汁を田舎のオープンカーに積んで、泊り込んでいる二人の青年の待つ人間牧場へ向いました。到着したのが7時40分でした。二人の青年は6時に目が覚めたらしく、身の回りの整理をして待っていてくれました。味噌汁をガスコンロにかけて温め早速朝食です。握り飯は一人4個、計12個を用意してくれましたが、「幾らなんでも朝からそんなに食べれるものか」と妻といい合いをしましたが、どうして若者たちはペロリ平らげ、味噌汁もお代わりしました。


 さて、今日は最後の講義です。「夕日徒然草」を肴にまず私が1時間余り講義し、質問事項を交えながらライブ形式で人生について話し合いました。人生は長いようで短いものであることや、今の前向きな20代の生き方が次の30代に必ず生きてくる事を、私の経験を交えながら話たのです。青年たちが感想で述べたように、今日も8時から12時までの時間があっという間に過ぎ去ってしまいました。私自身も今回のリーダー塾のように、まるでマンツーマンのような極めて少ない人数に、しかも長時間講義をするのは久しぶりなので、多少不安もありましたが、今期愛媛県青年団連合会の会長になる予定の三浦さんと、副会長になる予定の大家さんの二人に対し研修が出来たことはとても嬉しいことです。

 私は二人に今年の数値目標を指示しました。青年団が斜陽化する中での会長、副会長の要職に赴く訳ですから、決意を示せと、私が代表を務めるえひめ地域づくり研究会議の記念誌販売を例にとりゲキを飛ばしたのです。青年団員を一人10人勧誘するという話になりました。役員が10人いれば県下に100人の青年団員が誕生するのです。私の経済理念やオンリーワンづくりに質問が集中したこともあって、成り行き上約束をしたようですが、彼ら二人の意思表示が来年の3月にどのような成果となって現れてくるか楽しみです。

 私は今回自分が執筆した3冊の本をテキストとして買ってもらいました。私の講義はノーギャラですから決して高いとは思わないのですが、彼ら二人はどう受け取ったか聞いてはいません。でも彼ら二人は私の指示通り極めて真面目に熟読し、それぞれのテキストから10の質問を用意して望んでくれました。この事前研修だけでもとても貴重な学習になったはずです。

 私は今回の会場となった人間牧場の水平線の家に先日無事松下政経塾を卆塾した兼頭一司さんと、今日12時間の研修を終えた三浦誉さん、大家正裕さん、それに私の話しをこれまで存分に聞いている松本宏さんと馬路村の木下彰二さんの名前をかまぼこ板に書いて塾生として掲げたいと思っています。本人が嫌だといったら別ですが、ここから彼らの人生を応援したいのです。

 かくして二人は掃除をして無事それぞれのふるさとへ帰って行きました。

 昨夜は風呂を沸かし二人にいい湯をプレゼントしてやりました。風呂の電気を消して暗い海や漁港、そして遠く松山道後平野の明かりを見ながら風呂に入り何を感じたことでしょう。昨晩は囲炉裏の蓋を開け、ストーブで種火を起こし囲炉裏に入れ、囲炉裏を囲んで風呂上りのビールを楽しみながら夜なべ談義をしました。私は夜遅く二人を残してわが家へ帰りましたが、二人で色々な事を話したに違いありません。二人とも役所に勤める公務員ですから、限界を感じつつ仕事をすることでしょうが、住民の幸せのために頑張って欲しいものです。


  「ただ二人 相手に合計 10時間 思いの丈を 喋りまくりて」

  「朝飯を ちゃんと用意の 妻がいる ただそれだけが 私の値打ち」

  「テキストに 送った本を 熟読し 付箋付けくる 頼もしきかな」

  「お互いが 真剣勝負の 二日間 小便する暇 惜しんで慌て」 

 

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shin-1さんの日記

○青年団のリーダー塾

 青年団出身の私としては青年団で様々な事を学び、私の生きる土台となっているだけに、いつか青年団に恩返しがしたいと、いつも思っていました。そのため青年団から声がかかると何を放っておいても真っ先に駆けつけたり、青年の見本になるような生き方を心がけてきました。

 私は青年団で①仲間、②ふるさと、③主張、④感動という四つの道具を手に入れました。今までも今も、そしてこれからもその道具によって生かされ生きてゆくことは間違いのない事実です。しかしこの四つの道具は鎌やマサカリと同じように使わなければ錆びたり切れ味が悪くなったりするのです。絶えず場と機会という砥石によって研ぎ澄ますよう努力しなければ、いざという時何の役にも立たないのです。

 今年の1月、愛媛県青年団連合会の青年研究大会が開催され、記念講演を頼まれました。私たちの時代に千年研究集会といえば年に一度の一大イベントで、松山市民会場の大ホールを満席にするほどの青年が県下各地からバスに乗って集まってきたものです。時の流れとでもいうのでしょうか、県立中央青年の家に集まった青年の数は70名程度で少し寂しく感じたものの、私の話に熱心に聞き入る青年たちに、先輩として様々なメッセージを送ったのです。

 その一つがリーダー研修会でした。心を揺り動かすような研修会に参加しなければ遊び半分でいいリーダーは育たないと活を入れたのです。うれしいものでそれに反応した副会長から、早速新年度早々に人間牧場で一泊二日のリーダー塾をやりたいとメールが届きました。「しめた」と思い、副会長にどんな研修を望むのかプログラムを立案させました。しかし数日後に届いたメールは極平凡なものだったのです。食事の準備、焼肉などお遊び感覚な言葉が並ぶ研修を打ち消すような提案をメールで返信し、これが駄目なら今回はなかった事にしようと思いました。

 やがて届いたメールでは私の提案を受け入れたようでした。新年度早々でリーダーたちの日程調整がつかなかったのか、はたまた私の作ったプログラムが窮屈だったのか知る良しもありませんが、一抜けニ抜けと参加者が減り続け、ついには直前になって二人にまでなりました。普通であれば三人以下の社会教育プログラムは不可能ですが、私はこの二人のために24時間を割くことを決意し、今回のリーダー塾開講の運びとなったのです。

 私の作ったプログラムは、事前2週間前に私の自著本「昇る夕日でまちづくり」「今やれる青春」「夕日徒然草」の3冊を送り、完読し読んだ本の中からそれぞれ10の質問を抽出すること。当日は12時に集合して人間牧場12時30分着、13時から3時間毎に4つのテーマについて話し合うのです。13時から16時まで青年とまちづくり、16時から19時まで青年活動、19時から21時まで夜なべ談義、明くる日朝8時から11時まで青年の生活設計、その後反省評価を12時までして解散というまさにハードスケジュールな時計一回りのリーダー塾なのです。

 昨日は予定通り二人の青年がやって来て、対話ともいえるメニューに果敢に挑戦しました。私にとっても少々きつい日程でしたが、まずは思い通りに第一日目を終えました。一日で9時間の喋りはまさに鉄人級で、今朝から最後のプログラムに挑戦です。宿泊した二人のために妻は今せっせと朝食を作ってくれています。おにぎりと味噌汁の簡単なものですが、もう直ぐ7時になるので、これから再び人間牧場へ出発します。

  「二人だけ 相手に9時間 講義する こちら真剣 相手も真剣」

  「リーダーは 育てるものか 育つもの どちらでもいい 要は育てば」

  「本気から 元気生まれる 青年と がっぷり四つ 組んで議論を」

  「さあ今日も ふんどし締めて かからねば 俺の青春 見せてやらねば」

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shin-1さんの日記

○写真を送ってください

 「若松さん。恐れ入りますが講演会のチラシやパンフレットに使うのですが、顔写真を送ってくれませんか」と、再三再四頼まれます。その度に「誠に済みませんが、私のホームページの私の写真を使ってください」と返事をしてきたのです。しかしこの写真も残念ながら拡大すると粒子が粗くなってボケてくると、これまた再三再四穂あの写真を送るよう頼まれるのですが、デジカメを使うようになって3年が経って随分写真を撮っているにも関わらず、自分の写真は殆どない事に気付くのです。そういえば写真とはカメラを持っている人間が自分以外の人や風景を撮るもので、自分を撮ることはよほどのことがない限りないのです。それでも「顔写真を探せ」ときつい要望が届きます。最近は講演に行くとその姿を写真に写して送ってくれる人がいて、何枚かは持っていますが、それもスナップ写真であったり、遠くからだったりして余り役に立たないのです。

 先日も金融広報委員会の担当者から5月の講演会のPRに使うからと同様の要請を受けました。とっさに思いついたのは、日本銀行の直ぐ隣なのでえひめ地域政策研究センターにもしや私の顔写真がデーター化されて残っているかも知れないと、手持ちの「舞たうん」という雑誌をめくってみました。残念ながら「shin-1さんのブログ」というタイトルで描いている連載記事も全て似顔絵で、私の顔写真はどこにもないのです。何気なく「舞たうん」をめくっていると清水研究員が編集長だった「地域の自立とは」という特集を見つけました。その中に翠小学校にダブらせて私の顔写真があるのです。この写真は実物よりはるかに男前に撮っていて、「これだ」と直感し直ぐにセンターの清水さんに電話しました。センターは年に4回といいながら「舞たうん」を発行しているし、加えて沢山の講座・講演会、地域の活動支援をやっていて、その都度写真を撮っているため膨大な情報量で、その中から該当の写真を探すことは、かなり大変なようです。でも清水さんは快くその検索を引き受けてくれました。

 金融広報委員会へはその旨連絡して朗報を待ちましたが、早速見つかったと連絡があり、直接届けてもらったようです。

 自分の顔写真など、芸人でもないのですから必要ないと思っていました。ましてはこの顔ですから自分が写真に写ることは極端に避けてきたように思うのです。何年か前伊予市の武智写真館で、証明用の写真を撮ったことがあります。顔馴染みの武智さんは証明用だと断ったのに、まるで正装したような立派な写真を撮って、「若松さんは顔も広いし使うこともあるだろうから」と、プレゼントしてくれたのです。案の定教育長に就任してからにわかに写真が必要になり、武智さんにプレゼントしてもらったよそ行きの顔写真はかなりの頻度で使われ事なきを得たのです。

 人間誰しも若くありたい、美しく見せたと思うのは当然です。しかし加齢著しいこの歳になると4~5年も前の写真は若過ぎて恥かしい気持ちになるのです。ゆえに年に一度くらいは自分のスナップ写真を撮っておこうと思ったりしました。

 最近私の相棒は5歳になる孫朋樹です。二人で色々な事をしながら、孫の姿をカメラで追うのですが、孫は反対に私の写真を撮る事を希望します。残念ながら逆光であったり、顔が半分しか写っていないことが多いのですが、それでも孫が撮ってくれた私の写真が手元に残るようになったし、近頃は自分が自分の写真を撮ることさえ孫に教えられて撮るようになりました。

 思わぬ写真ウォンテットとなりましたが、はてさてわたしの写真を見た人はどう思うことでしょう。「まあ醜いアヒルのおじさんね?」なんて悪口、陰口のいいネタになることでしょう。

  「お写真を 送ってくれと 依頼され 探してみたが ないこと気付く」

  「ウフフのフ 私の写真 見た人は 悪口いいつつ 陰口しきり」

  「あっそうだ 雑誌めくりて 自画像を 探すもただの 一枚だけしか」

  「死んだなら どの顔写真 使おうか 葬式用に 今から準備」

 

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shin-1さんの日記

○節句

 こちらの地方では4月4日のことを「節句」といって、この日は仕事を休み自宅で作った弁当を持って野山にくり出して花見をする風習があります。随分廃れてきましたけど、それでもこれらの伝統行事を重んじる人は仕事を休むのです。昨日は好天気で海も凪いでいましたが、漁をする漁船は全てお休みで、あちらこちらで小さな輪が出来て花見を楽しんでいました。昔から「野良の節句働き」という言葉があるように、勤勉な人は節句に休むけれど、野良(余り仕事をしない人)に限って、人ガスごとを休む時さも忙しそうに働くのです。その点私も野良かも知れないと一人苦笑しながら、人間牧場の倉庫の掃除を少々疲れるほどしました。

 一昨日の夜仕事から帰った妻は台所で何やら料理をし始めました。かまぼこ、竹輪、ニンジン、ゴボウ、かんぴょうなどの具材を切り分けて煮炊きし、もち米の入ったご飯を作った合わせ酢であわせ、どうやら巻き寿司を巻く算段のようです。「お父さん、ご飯も冷めたのでちょっと手伝ってくれない」というので、シブシブ台所へ行って、妻の指示するまま、いわれるまま茶碗にご飯をよそうのです。妻は巻き寿司用のスノコに黒海苔を敷いて私のよそった酢飯を伸ばし、そこへ具材を入れて手際よく巻いてゆきます。20本は巻いたでしょうか、「そんなに作って誰が食べるの、残り物を食べさせられるのは沢山」といいつつ、結局最後まで手伝いました。妻はその巻き寿司をを白い半紙で丁寧に包み、もろぶたという木箱に入れて一晩寝かせたのです。

 朝6時、妻は台所に立って弁当のおかずを品揃えして重箱に盛っていました。見覚えのある重箱には巻き寿司とおかずが、まるでおせち料理のように盛られ、中々綺麗です。「さあ出来た、お父さん私は仕事なので娘と息子、それにおじいちゃんに届けといてね」と、これまた唐突な指示です。私は人間牧場の作業があると思いつつ、リタイアの悲哀と受け止め、言われるがままに車を走らせました。

 親父の所は弁当を運びましたが、親父はあいにく7キロ先の下灘診療所まで自転車で通院とかであいにく不在でした。居間のテーブルに弁当を置いて出かけました。

 道沿いの桜はもう八分咲きでしょうか、濃いピンクから淡いピンクへ、これを桜色というのでしょうか次第に衣を替えているようです。海岸線の桜は殆どソメイヨシノですが、中には大島桜もあって中々見事の咲き栄えで、間もなく海岸国道378号線沿いは桜の花のベルトが見れるのです。

 まず長男息子の家へ立ち寄りました。息子は平日なので仕事、しかも今日は金曜日なので道後公園で職場の花見というのです。息子嫁と孫希心が在宅でした。ここで証拠写真を撮りました。恥かしいので間違っても写真には撮らないでね」と、妻からきつくいわれていましたが、私はアマノジャクなのです。

(孫希心君と弁当)

 続いて道後に住む娘家族の家を訪ねました。春休みなのですが孫朋樹は居残り保育のため、既に幼稚園に出かけて留守でした。孫尚樹はハイハイでそこらじゅうを這い回って元気に遊んでいました。朋樹の発見だと「直樹君が一人で座っていた」そうです。一人で座る仕草をするのですが、母親はその確認をしていないそうです。最近は物を持って立とうとする仕草を盛んにするそうで、もう直ぐ「這えば立て」のようです。

 ここでも弁当の写真を撮らせてもらいました。ここは家族が多いので、少し大きめの重箱が用意されていたようです。

(娘の所へ届けた弁当)

 さて、やっと弁当の配達が終わったので、児童相談所へ仲間の大野さんを訪ねました。残念ながらアポも取らずに立ち寄ったので彼はあいにく留守で、手持ち無沙汰なので、久しぶりに私は松前町の元気人村へ立ち寄り風呂を楽しみました。今日は花見の日和だからでしょうか、温泉は散閑としていました。馴染みの人と雑談にふけりながらしばしの休息をしました。

  「弁当を 三つも作る 忙しさ 妻に頼まれ それらを配る」

  「肝心の 私の弁当 見当たらず 二人仲良く 残り物です」

  「巻き寿司に 何か忘れた かんぴょうを 妻も痴呆か 忘れるなんて」

  「今頃は 弁当広げ 食べている 多分文句の 一つもいいつつ」

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shin-1さんの日記

○野草を食べる

 食べられる野草といえばワラビ、ゼンマイ、ツワブキ、フキ、イタドリ、ヨモギ、ノビル、オニグイなどなど、その気になって探せば春ですから沢山取ることができます。しかしこれらの野草は料理の仕方を間違うとアクが強くて食べれるものではありません。私たちが子どもの頃、こうしたアク強い食べ物がガンになる確率が高いから食べない方がいいとか聞きました。それでも大人たちは季節になると、子どもには信じられないくらい不味い食べ物なのに、こうした物を好んで食べていました。しかしあれ程不味いと思っていた物も加齢とともに欲しくなってくるから嗜好の変化とは不思議なものです。

(少しの手入れで自然に生えた見事な人間牧場のフキ畑、これから収穫が楽しみです。でも加工が大変です)

 4月1日に赤トンボ先生が人間牧場へやって来ました。先生はわが人間牧場の畑一面に生えているフキを目敏く見つけて、私の許しを得て葉っぱを取り始めたのです。普通フキは茎の部分を食べるのであって、葉っぱなどはこれまで全て捨てていました。先生の話によるとこの葉っぱこそ美味しいのであって、茎なんかより芽生え始めた今の柔らかい葉っぱを佃煮にしたら、お茶漬けのお供に最高だというのです。半信半疑でしたが今日再び友人を誘って人間牧場へやって来て、フキの葉っぱを取って帰りました。先生はその折前回とって帰った発破を佃煮にして味見をするよう持参したのです。アクが強いものの中々美味で、これなら行けると、私は先生が帰ってから少し草刈りをして、その後葉っぱを摘んで帰りました。あいにく妻は仕事で留守、早速私は苦汁菜を炊いた時の要領で加工する事にしました。まず大きな鍋にお湯を沸かし、綺麗に洗ったフキの葉っぱを入れ湯がくのです。かなり時間を掛けて湯がくと、茶色のアク汁がいっぱい出てきます。それを捨てて冷水に晒しました。何度か水を換えきれいな水になったら絞って再び鍋に戻します。ほんの少し水を加えて煮立ったら醤油、砂糖、みりんを加えて煮詰めます。煮詰まり始めたら梅干しの種を取り出して中に入れ、更にレモンを一個絞って入れます。こうすれば保存が聞くのです。やがて水分が全て飛んだところで火を止めて冷ませば出来上がりです。

 自慢ではありませんが私は家で料理をしたことなどは殆どないため味音痴です。さて仕事から帰った妻はこの味を何と言うでしょう。多分いつもの通り褒め殺しで褒めてくれるでしょうが、そんな甘い口車に乗ろうものなら、次からやらなければならない羽目になるので、滅多なことで口車に乗ってはいけないのです。

 このフキ畑は三年前に人間牧場を開設した時、ミカンの木の根元に生えていた少しの株を草刈機で刈ることもなく大事に残し育ててきました。カズラやハズの葉を取り除き、フキだけにしたお陰で、今年は青々としたフキが当り一面を覆うほど成長しているのです。妻も私もフキの茎の部分が大好物で、もう4~5日もすれば親指程度の柔らかくて立派なフキが食べられそうです。フキは昨年も保存食として随分美味しく食べました。今年はこのフキの葉っぱを加えれば、山菜として一品増えそうです。

 今日もフキの葉っぱを佃煮にした後で思ったのですが、やはりレシピを作らねば、いつまでたっても感だけではいけないような気がしました。甘ければ醤油を入れ、辛ければ砂糖を入れるような調理方法は健康を損なう元だと思いました。糖分や塩分はやはり健康には大敵です。いくら美味しいからといっても食べ過ぎには注意をしなければなりません。

 妻はまだ外出先から帰ってきません。帰宅が待ち遠しい4月4日の午後8時です。

  「食べるとこ 茎ばかりかと 思いきや 葉っぱを食べる フキも色々」

  「料理など 殆どしない 俺だけど フキにツワブキ ワカメに魚」

  「いやあいける 煮詰めつ味見 する私 最後は甘いか 辛い分らず」

  「こんなこと 三度三度と する妻は 偉いもんだと ついつい感心」  

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shin-1さんの日記

○土木業者の嘆き節

 新年度が始まると、どこか「やるぞ」という空気がみなぎるものなのですが、この頃から土木業者は「何か仕事はないか」と、細々とした仕事で食いつなぐ日々が続くようです。私の町には多い時は中小16もの土木業者がひしめいて、繁華に仕事をしていました。その殆どは公共工事で、町道、林道、農道、災害復旧、圃場整備、用地拡張などの工事を、談合と言われながらも表向きは一定のルールに則って受注していました。町内にもA・B・Cランク分けした業者がいて、お互いが連帯保証しながらこれも表向き仲良くやっていたようです。ところが小泉さんが首相をしたころから公共工事が減り始め、合併した途端に激減し特に小さい土木業者仕事が立ち入っていかなくなり、倒産や自己破産、ひどいのは自殺や夜逃げなど、様々な辛酸をなめて現在は6業者に激減しているのです。元々土木業者が多かったといえばそれまでですが、地すべり地帯の多いわが町では、何年かに一度、台風や大雨が災害をもたらし、皮肉にもその災害が公共工事を生んでいくという循環が出来上がっていたのです。そのころの土木業者は羽振りがよく、33ナンバーの高級車を乗り回し、日曜日にはゴルフに講じたり、社員旅行と称して海外まで出かけていました。また社会保険にも加入していたのでみんな安心して働いていたようです。

 土木業は機械業といわれるように、何千万円もするような重機類を持たなければならず、競争に負けるとあってみんな競って高価な重機を持ちました。またパソコンが仕事をするようになって、そのリース料やオペレーターの雇用なども次第に重荷となって経営を苦しめました。追い討ちをかけるように談合事件、行政を巻き込んだ贈収賄事件など相次ぐ不祥事が明るみに出て、公共工事への社会の風当たりが強くなって、入札制度、工事費の見直、市町村の合併が最後の止めを刺したのです。

 しかし、10人に一人が何らかの土木業に関わらざるを得ない田舎で、土木業の不振は土木業者のみに留まらず、住民の暮しへの影響がすこぶる大きく、田舎に住んで土木業で生計を立てながら日曜日には兼業で農漁業をやるといったパターンが崩れ、過疎助長、限界集落出現の大きな原因となっているようです。

 昨日、馴染みの小土木業の若い社長がわが家にやって来て、「何か仕事はないか」というのです。近所で小さなよう壁工事を行っているため、立ち寄ったらしいのですが、この工事が終われば当分休みらしく、空を見上げて空しくため息を漏らす姿に寂しさすら感じましたが、残念ながら私にはどうすることもできず、その嘆き節を聞くのみでした。

(ウッドデッキの下の切り取り斜面、ここを石積みにします)
(車の回転場付近の斜面まで15メートルの工事です)

 ふと、何とか少しでも助けて揚げれないかと思い、人間牧場の石積みを思い立ちました。「小さな工事だがお願いできないか」と頼むと、早速見に行こうということになって、社長の汚れた車に乗り込み世間話をしながら走りました。高さ×長さの理論で、アバウトな見積を現場で図に描き、15万円から20万程度というのです。誰でも安い方がいいので、じゃあ15万円でお願いしますと、あっさり口頭で契約してしまいました。リタイアの身ゆえ大蔵大臣の妻に相談すればよかったのかも知れませんが、まあ何とかなるだろうと思ったのです。

 人間牧場のウッドデッキのすぐ下は切り取り工事だけで終わっていて、少し心配していた場所なので、この工事が終われば万全と思っています。工事は僅か15メートルほどなので3~4日で終わる予定だそうです。

 屁のツッパリにもならない土木工事ですが、少しだけでも痛みを分かち合ったつもりの一日でした。

  「春なのに 沈む心の 土木業 昔の夢など 既に遠くへ」

  「お世辞にも 社長の車? 言えません お家の事情 厳し経営」

  「工事して 直ぐに見積り 高いのか 訳も分らず 即決頼む」

  「大蔵の 許可も受けずに 発注す これが最後と 何度いったか」  

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shin-1さんの日記

○大学生に話す

 小学生は40分、中学生は50分、高校生は60分、大学生は90分というのが、話しを聞いてもらえる長さだと意識して、小・中・高・大それぞれの年齢階層に応じた話をしていますが、今日は大学生に90分の話しをして欲しいと娘婿に頼まれ、ふたみ潮風ふれあいの館へ行きました。昨日から愛媛大学法文学部の学生が合宿研修をしており、その一環としての話です。相手は一回生とニ回生ですが、新入一回生は4日前まで高校生だった若者ですから、さてどんな話にしようかと思いつつ話しをしました。

 感想からいえば少々気になるくらい非常に真面目で、熱心に聞き入り、そして質問や意見もテキパキとして感心してしまいました。

 今日は高知大学大学院に在籍している双海町出身の堀川奈津さんについて少しお話しました。堀川さんは次号の「舞たうん」にも書いていますが、大学のインターンシップで高知県奈半利町へ派遣されました。そして若者らしい感性で奈半利のまちづくりに深く関わり、地域の人から絶大な信頼を得た女性です。彼女の卒論を読ませてもらいましたが、地域に関われば関わるほど地域の他力本願的なものが目に付いて、地域の自立について考えさせられたそうです。結局地域は彼女に何を求めたのか結論を得ぬままでしたが、彼女の発した地域づくりへのシグナルは大きなインパクトを与えたようです。

 これまでだと大学生は学ぶ存在ですから、ある意味で地域づくりの蚊帳の外でした。いつかは役に立つだろうという安易な考えで大学も地域づくりの学習をさせますが、最近はフィールドワークやインターンシップなどの導入によって随分学生に地位へのかかわり方が変わってきました。できれば大学生もアルバイトや遊びに熱中することも大事ですが、在学中から地域に深く関わって欲しいと思うのです。

 大学も最近は少しずつ変化をしていて、地域づくりのコースが出来たり、これまでのペーパー受験から、自分の考えを試験官の前でプレゼンテーションする提案型へ移行している所もあるようです。自分の偏差値だけで行ける大学を選び、将来何になり何をしたいのか分らぬまま大学に入って、就職すらできない人たちもいるのです。私の話はそんな願いを込めて熱っぽく話したつもりですが、心の扉を開くことは出来ないまでも、心のどこかに共鳴して欲しいと願っています。

 このところ大学生や青年が私の所へやって来る人と機会が増えてきました。多分混迷社会を反映したり、人間は何のために生きるのかといった疑問が若者の間に芽生えているからかも知れません。またスピード化したり事件犯罪が続発するする社会に疑問を投げかけ、スローライフな生き方を既に模索している若者すらいるのです。

 私たちから見ると羨ましくなるような知識とエネルギー、それに行動力を持った若者たちが、国や社会のためとまでは言わなくても、住んでいるまちに思いを寄せて生きるような地域づくりをこれからも目指したいと思っています。反面教師ではありませんが、若い人に出会う度に、自分の生き方を問い直せることはとても素晴らしく、今後も出来る限り若者と接したいと思いました。

  「若者に 話すのだから 胸を張り 伝えたいこと しっかり伝う」

  「もう少し 若さ欲しいと 六十を 越えた私が 声高喋る」

  「否定する 意見が欲しい 思いつつ 喧嘩売るよな 話したけど」

  「優等生 ばかり揃えた 大学は 面白くなし もっと喚けよ」

 

 

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○キャベツが大豊作

 ふとしたことから知り合った伊予市の水口マリ子さんから昨秋キャベツの苗を沢山貰いました。わが家は上灘川に沿った谷筋にあるため、家庭菜園も冬日当たりが悪く、冬の作物は大根以外は余り出来ません。タマネギなどは作付してからもう半年がくるというのに植えた時とそんなに変わらない大きさなのです。でも春の訪れとともに日増しに日当たりがよくなって、日々の成長は目を見張るようです。キャベツの苗もタマネギと同じだろうと思っていましたら、今年の寒さはことの他厳しかったせいか、キャベツはしっかりと太って、大きな玉を実らせているのです。

 私はキャベツが大好きで、三度三度の食事にキャベツが出ても文句を言わないほどの大好物なのです。特にリンゴと組み合わせたリンキャベはある雑誌に紹介されるほど知る人ぞ知る私の健康食なのです。と真もそれを承知で毎朝キャベツの千切りを欠かさず食卓に出してくれるのです。しかしキャベツは冬の野菜のためキャベツを自宅で年中無農薬で栽培することは不可能に近く、素人の私にはこの春先しかキャベツは作れないのです。したがって年中キャベツを食べていますが、それは出身地も分らないようなものでした。しかしつい最近は生産地表示が義務付けられ、○○産と書かれるようになったので、出来るだけ愛媛県産を買い求めるようにしているのです。私は中四国、それに九州くらいは自家用車で移動しますので、移動の度に地方の特産品センターなどを訪問して、買い物の苦手なくせにキャベツだけは目利きが出来て買い求めて帰るのです。キャベツは比較的安くどの特産品センターにも年中出回っているので大助かりです。しかしキャベツは他の野菜と違い生で食べることが多いので、綺麗なキャベツを見ると「これ大丈夫かな」と消毒の詮索をしてしまい、結局は虫穴の開いた2級品に目と手が行くのです。二級品の方が安くて安全というのは野菜の定説なのですが、最近は少し変わってきているようです。

 さて大豊作のキャベツですが、春キャベツといわれるように甘くて柔らかくて美味しくてと三拍子そろっているのですが、ここのところの陽気に誘われてキャベツに異変が起こり始めました。キャベツが成長し過ぎて上の部分が破れ始めたのです。商品として売るのではないので、別に破れても食べるのには影響しませんが、多分この破れはキャベツが花をつけようとする主保存の原則であるということを意味します。つまりこのまま放っておくとキャベツの真ん中からトウが立って花が咲くのです。さらに心配なのはこの破れた部分に雨が入ると腐ったりもするのです。そうかといって毎日毎食牛のようにキャベツばかりを食べるわけにも行かず、最近は近所に配って喜ばれているのです。

 わが家ではキャベツ料理がふんだんに作られ、ロールキャベツなどは妻の最も得意とするところで、妻の料理の腕に満足し「褒め殺し」のような言葉を掛けています。

 キャベツ大豊作の秘密はどうやら「苗」の品質があるようです。根の張った丈夫な苗だったため、しっかりと地中に根を張りました。またキャベツは沢山の品種があるようですが、何の品種か分らずもこの土地にあった品種だったのではないかと思うのです。また草引きなど丹念に育ててくれた親父の世話も見逃すことは出来ません。早速苗を沢山いただいた水口マリ子さんにお礼のハガキを出そうと思って、キャベツ畑の様子をデジカメで撮りました。水口さん宅は稲の苗を育てて販売する大農家です。私たちのような家庭菜園などを趣味で楽しむ人など相手にすることはできない忙しさなのでしょうが、時々トマトが出来た、キューリが出来た、枝豆が出来たと旬の季節を届けてくれるのです。有り難いと思いつつ今日も水口マリ子さんのことを思いつつキャベツを食べています。

  「菜園の キャベツ丸々 豊作だ まな板の音 今朝も目覚まし」

  「昨晩の ロールキャベツの 美味なこと 妻の手料理 褒めていただく」

  「キャベツ取り 隣近所へ おすそ分け 美味いといわれ ブロッコリー添え」

  「キャベツ食べ お陰で胃腸 快調だ これから先も リンキャベ食べる」  


 

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shin-1さんの日記

○剪定枝木の焼却

 先日から人間牧場のそこここに植わっている杉の木の剪定を行なっています。この杉の木は元々みかん畑だったころの防風垣だったもので、一度は芯をを止められたものなので、杉といえば連想する二等辺三角形とは全く異なり、いびつな形をしています。人間牧場を始めた時、全て切ろうと思っていたのですが、切るのはいつでも切れると、眺望を遮りから切った方がいいという友人のアドバイスにも耳を貸さず残しておいたものなのです。緑とは有り難いもので、その後周辺の雑木を取り除いたため、杉に木に日が当たるようになり、すっかり様になっているのです。しかし散髪もしないのではそれこそみっともないと、下枝を剪定しているのです。

 今日は無風で穏やかな天候だったので、孫を連れて人間牧場へ行き剪定した枝葉を焼却処分することにしました。うず高く積まれた枝葉をまだ植え付けしていない芋畑へ積み上げ、周りに類焼しないように気を配って下から火をつけました。杉葉は勢いよく燃え始めました。火力が強くなった所へ、3年前に開墾した時潅木を薪用に畑の隅へ積んでいたのを寄せ集めて焼却です。火力は益々強くなり、午前中で殆ど終りました。

(煙も火も珍しい孫は有頂天です)
(孫に撮って貰った私の記念写真)

 孫も5歳なので足手まといながらそこそこ手伝いの力になって、枝葉を運んできては火の中へ面白そうに投げ込んでは楽しんでいました。近頃の子どもにとって焚き火を見るのも、自分で火の中へ薪を入れるのも、ましてや火の熱い勢いやパチパチと音を立てるのも初めてとあって、かなりテンションが上がっていました。

 やがて昼の音楽サイレンが鳴り、例によって妻の作ってくれたお弁当を広げ、二人で楽しい昼食を食べました。そして孫と2階のロフトに上がって、畳一畳ほどの場長室に入って一時間余り午睡をしました。

 午後は草刈りですが、年代物の草刈機なので、始動の度にエンジンがかかるかどうか心配するのですが、今日も絶好調です。ただし草刈機の刃が切れなくなっていて、そろそろ替刃に変えねばと思っています。今はまだ草丈も低いので、石などにぶつけて刃を駄目にすることが多いので、もう少し使ってから替えたいと思っています。春になると人間牧場も仕事が山ほどあって、孫の面倒を見る余裕は余りないのですが、それでもこの時期しか孫とのふれあいもないだろうと、無理をして相棒の面倒を見ています。

 今日は水平線の家の玄関に踏み石を一つ置く作業もしました。穴を掘り、そこに切り石を置くのですが、これまた孫が手伝うといってチョロチョロするのです。危ないといっても聞かず、孫の仕事を作ってやって、砂利を運ぶ作業をさせました。やっと終わると「おじいちゃん、僕が手伝ったから早くできた」と大威張りです。

(孫と一緒に作業し完成た飛び石)

 人間牧場界隈は今やぶ椿が見ごろです。桜もそこここ咲いて、人の目は桜に移っていますが、この頃のやぶ椿の花も趣きがあって、私は大好きです。まったく人の手の入らない自然のままのやぶ椿の花が、これほど美しいと感じたことはないほど、今年は特に美しく咲いていました。どうです。この見事な姿。思わずうっとりしてしまいました。今はメジロやウグイスが椿の蜜を吸いに沢山やって来て、時には直ぐ側でホーホケキョと鳴いてくれるのです。「おじいちゃん、キジが鳴いている」。人間牧場常連の孫は、「ケーン、ケーン」と鳴くかん高いキジの鳴き声を聞き分けれるようになったのです。孫のリクエストに答え、団子虫を10匹ほど捕まえて家に持ち帰りました。妻の土産にとツワブキまで収穫して帰りました。


(今が満開、見事なわが人間牧場のやぶ椿の花)

  「春休み 私本当は 骨休み したいけれども 孫が重荷で」

  「春椿 見事に咲いて メジロ来る 桜もいいが 名残椿も」

  「切石を 据える作業に 手足出し 足手まといの 孫と二人で」

  「火や煙 珍しいのか 近寄って まるで雲だと 追いかけ蒸せる」

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