人間牧場

〇人の死

 今は亡き私の親父は12人兄弟の長男として大正7年に生まれました。ゆえに親父を除けば11人の叔父や叔母がいる計算になります。既に半数近くは戦災や病気でこの世を去っています。従兄弟・従姉妹の数も半端ではなく、遠く離れた地域に住んでいる人たちの中には、音信も途絶えがちな人も何人かいますが、近くに住んでいる人とは今も頻繁に日常往来があり、親しい付き合いを重ねています。

従兄弟の告別式会場
葬儀後の初七日の法要

 その中で最も親しい付き合いをしていた従兄弟に下灘漁協組合長で漁師をしていた若松利光がいます。4日前自宅で闘病していましたが、薬石効なくこの世を去りました。3つも年下ゆえに私の心も複雑で、この4~5日は重苦しくも悲しい日々を過ごしました。日ごろは忙しさにかまけて人間の死など余り考える余裕はありませんでしたが、親しいゆえに通夜や葬儀、火葬、法要など生から死、そして有から無へと進むにつれ、人間は何のために生き、どこから来てどこへ向かうのか、加齢が進む自分の終末や死後のことなどを色々と考えさせられた4~5日でした。

 昨日法要を済ませ、妻と車に乗って帰る途中、そして食事を済ませ寝るまで、これからの生き方についてお互いが謙虚になって話しました。私は5人兄弟姉妹で幸いみんなそれなりに元気ですが、弟嫁は既に他界し義兄も最近病床に伏しています。妻は4人兄弟ですが兄も妹もこの世を去って兄が一人残っています。幸い私たち夫婦は今のところ色々あっても何とか元気です。「お父さん、元気で長生きしてね」と妻から殊勝な言葉をかけられました。私も相槌を打つようにさだまさしの関白宣言ではありませんが、「お前も元気で俺より長生きしろ」と返しました。

 従兄弟の一連の仏事で余り体を動かさなかったため、肩が凝ったという妻の肩を息子や孫、それに肩が余り凝らない私がこれまた殊勝にも入れ代わり立ち代わり揉んでやりました。幾分楽になったようです。さあ今日からまた新たな気持ちで従兄弟の分まで頑張りましょう。

「ああ悲し 従兄弟の葬儀 法要を やっと終えたが 心沈んで」

「生から死 有から無へと 変わり行く 人間最後 やがて自分も」

「どう生きる よりもこれから どう死ぬか 嫌でもしっかり 向き合わにゃならぬ」

「息子孫 肩が凝ったと 言う妻の 肩揉みほぐし 私も手助け」

 

 

 

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